スタートラインから遠く離れ、通りの商店街の軒の下に腰を下ろしていた。
周りは出走を待つ馬のように、はやる気持ちを抑えかねた選手たちが、足踏みをしたり、ストレッチをしたり、ウォーミングアップに余念がなかった。
僕はまるで人ごとのようにぼんやりとそれを眺めていた。
午前9時25分。ハーフマラソンのスタートの合図が高らかに鳴った。気温が上がりもう25度を多分超えていた。
数百人のランナーが一斉に飛び出した。
そんな中、僕はほとんど一番最後の一団の中でゆっくりとスタートした。
制限時間内に走り切れるのだろうか?
それよりも走り続けることがそもそもできるのだろうか?
数日前から自問自答し続け、遂には『なるようになるさ』と悟りを開き、走り切れなくても出るだけ出てみよう。そんな心境でそろそろと走り出した。
* * * *
21日はカチューシャの唄の作曲家、中山晋平の故郷、中野市で第28回目のカチューシャマラソンが行われた。
ゲストにはキングオブスキーの荻原健司さん。
一般参加で10キロの部で庄野真代さんがエントリーしていた。
グランドでは選手たちがウォーミングアップを続け、やがて、開会式。
そんな中で、僕は会場の一角にあるスポーツトレーナーのコーナーで、マッサージを受けていた。
『かなり悪いですね。診てもらっているんですか?』
『いや、まだ。...』
この3月、ランニングを始めたころ、決まって1キロくらい走ると、足の裏側が痺れ、感覚がなくなり、歩くことはおろか立っていることさえできなかった。
この現象は、買い物をしている時も頻繁に起きた。
5分から10分休んでいると回復するのだが、とてもランニングなどできる状態ではなかった。
カチューシャマラソンの参加案内が届き、その日は容赦なく近づいてきた。
そんな中、買い物をしていると、やっぱりその症状は容赦なく襲ってきた。
不思議なことに、東海道歩きで1日40キロ歩いたり、水道メーターの検針で、30,000歩以上歩いてもそうはならなかった。
ランニングしたり、立ち止まるか、ゆっくり歩いているときにそうなるらしかった。
何もトレーニングせず、会場でもウォーミングアップせず、木の下でじっとしていた。
制限時間は2時間30分。
1キロ7分で行けば、2時間25分でゴールできる。
密かに僕はぎりぎりのペース配分を考えていた。
それならば、もしかすると完走できるかもしれない。
そう思うとずいぶん気が楽になった。
去年は2時間2分で、もう少し頑張れば2時間切りも狙える、などと考えるのはもうやめた。
この状態では、スタートラインに立つことすら、たぶんすごいことなのだ。
『7分、7分』と口の中で唱えながら、時計を見ると、なんと5分30秒くらいのペースで走っている。
自分では遅いつもりでも、周りのペースに巻き込まれて速くなっていた。
意識的にペースを落とすが、さすがに7分までは落とせない。
無理しないで自分の楽なペースで走ろうと決め、時計を見ると6分を少し切るくらい。
後からスタートした10キロ、5キロの選手たちが勢いよく追い抜いて行った。
とりあえず1キロ地点まで持つか、そして、1.5キロ、2キロを過ぎれば、まず大丈夫。これまでもそうだったから。
そして僕は走り続けた。
第1給水所。水とスポーツドリンクを飲んだ。
この時はゆっくりと歩いた。とにかく気温が高い。しっかり水分補給をしようと思った。
多分、気温はもう30度近かった。
田園風景を眺める余裕もあった。
中野の名山、高社山はもうすっかり、緑が濃くなっていた。
傍らを流れる夜間瀬川は大きな川幅を持って、千曲川の合流点に向かって流れていた。
第2給水所、第3給水所も無事に過ぎ、次第に遅れるランナーや歩くランナーの姿も目に付くようになった。
僕は、ゆっくりになったとしても歩かず走り切ることにしていた。
待ちに待った折り返し点につく頃、気温は間違いなく30度を超していた。
コースは復路、次第に緩やかな登りになっていった。
給水所で頭から水を被った。
その水がシャツに浸み込んで、意外な冷却効果を発揮した。
次の給水所で、ランナーが一人倒れこみ、係員が車を呼ぶ手配をしていた。
後で聞いた話だと、病院で手当てを受け、症状は軽かったという。
また、同じ日に行われた千曲川ロードレースでも、たくさんの人が、熱中症で倒れたという。
マラソンをやるには過酷な条件だった。
何のトレーニングもしなかった身には、さすがに後半はキツかった。
登りのせいもあったが時として、ペースは6分台後半にまで落ちた。
それでも、何とかゴールまでたどり着くことができた。
時間は、自動計時で2時間15分。自分の時計では2時間13分だった。その差はスタート時のロスによるものだと思う。
60歳代男子のハーフマラソン37名中22位。
完走しただけでも十分だ。
その後、意を決して整形外科医の診察を受けに行った。
『典型的な脊柱管狭窄症ですね』
症状を話しただけで、明快に言い切った。
『血行を良くする薬と、ビタミン剤を出しておきます。2週間分ね。それで様子を見ましょう。だめだったら、MRIとか、また方法がありますから。』
まだまだ、登りたい山がある。こんなことで歩けなくなるわけにはいかない。
昨年の夏、腰痛がある中、穂高への縦走に出かけたら、ぴたりと治ってしまった。
多分、自分には買い物で店内を歩くより、山を歩いているほうが合っているのだろう。
そこで、さっそく、この日曜日には上信国境の白砂山に行く計画を立てた。
歩行時間8時間ほどだが、現地へ行くまで車で2時間以上かかる。この山は信州百名山の一つで、残された未踏の山が一つ減る。
多分、シラネアオイの花も見れるだろう。
78歳になる義姉も誘って、カミさんとの3人旅。
楽しみだ。
腰痛の中で、僕は続けていることがある。
スクワット30日チャレンジ。
50回から始め、1日5回づつ増やしていく。30日目には195回になる。
これをやり切って、さてどうしようかと思ったときに、緩急のリズムが大事だと、第2クルーは55回から始めることにした。
今日は第2クルーの77日目。85回。
これは多分、山登りの足の筋肉を作るのに役立っている。
ハーフマラソンを走り切れたのも、実はこのおかげかもしれない。
年を取ると、思わぬ早さで筋肉が衰えていくものだ。