白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

それは きれいなルビー色

2017年11月25日 21時14分56秒 | 家庭菜園

今日はいい天気。

秋作のジャガイモ掘り。

デジマは、前回半分くらい掘っているので、今回は残りの分。

そして、アンデスレッドという初めての品種。

さて、どんな芋が採れるのだろう。

ワクワクしながら掘ってみる。

それは何ともきれいな、ルビー色。

さっそくふかしてバターと塩で食べてみた。

ホクホクして甘い。

この芋は煮崩れしやすいので、コロッケや、ポテトサラダに向いている。

多分、この辺りのスーパーでは売っていないと思うので、珍しい芋だと思う。

1キロか2キロくらいの種芋だったので、そんなにたくさんは採れなかった。

来年はもう少し多く作付けして、友人たちにもおすそ分けするとしよう。

 

話変わって。

先日降った雪の中で、1台のバイクが停めてある。

これでも、一応はバイク乗り。

セローというヤマハの名車。

この秋、バッテリーを替え、点火プラグを替え、エアーフイルターも交換した。

交換前のエアーフィルターはボロボロで、ほとんどフィルターの役目を果たしていなかった。

新しくして、オイルフィルターなので、オイルも浸みこませた。

ところが、エンジンの掛かりが悪くなった。

特に寒い朝など、素直には掛かってくれない。

空気の流入量が減って、燃料が濃くなってしまっているのだろう。

キャブの調整を重ねて、やっと順調に掛かるようになった。

だが、残念なことには、この地ではもはや、雪の季節で、ツーリングのできる状態ではない。

もう少し家の周りを片付けて、本格的な雪の時期には、屋根の下に入れてやりたい。

これに乗って、北海道ツーリングに出かけるのが、長い間の夢なのだ。

 

 

 


次第に弱まっていく日差しの中で

2017年11月24日 22時48分29秒 | 日記

この地にも、数日前に初雪が降った。

後立山連峰も白くなった。

もう40年近くも元旦登山を続けている飯綱山も端正な姿。

見えているスキー場には、長野オリンピックで金メダルを取ったことに因んで、里谷多英コースもある。

その後、彼女の人生にも色々なことがあったようだが、あれからもう19年が過ぎようとしている。

時の流れの速さに、改めて愕然とする。

父が逝き、母も逝き、実家が空き家になって8年が過ぎた。

全国的に空家が問題になっているようだ。

自分もやがて去っていく。

その時にこの空家をそのまま残していくわけにはいかない。

一念発起して、相続登記の手続きをした。

法務局に3回通って、ここで手続きが完了した。

売却の目途も付いた。

実家の中の諸々も、ほぼ片づけ終わった。

本当にホッとしている。

陽射しが次第に弱まり、西に傾いていく中で、そろそろ休んでもいいのかも知れないと思う。

 

今年、初めて秋作のジャガイモを作ってみた。

デジマとアンデスレッドという2品種。

台風で茎が折れたりして、心配したが、予想外にいい芋が採れた。

取り敢えず、デジマを少し掘って、さっそくじゃがバターで食べてみた。

ホクホクして、実にうまかった。

大きさも申し分ない。

アンデスレッドはどんな出来だろうか。掘るのが楽しみだ。

今年の家庭菜園は、うまくいったものもあれば、失敗したものもある。

冬の間に、十分反省もし、来年の計画も立てたいと思っている。

長い目で見れば、僕の人生もまた弱まっていく日差しの中にいるのだろう。

この弱弱しい日差しの中で、これまでの人生を振り返り、これからの行く末をじっくり考えるとしよう。

 

 

 

 


変わらないように見えて 

2017年11月14日 17時09分00秒 | 日記

毎日毎日が、何も変わらなくて、特にリタイアした身にとっては同じことの繰り返し。

そんな風に思い込みそうになっていた。

だが、何かきっかけがあれば、一気に事態が変わっていく。

それは、気が付かないうちにひずみが溜まって、ある時突然想像を超える大地震が引き起こされるのに似ている。

量の蓄積が質の変化を引き起こす。

 

父親が亡くなって14年、母親が亡くなって8年が過ぎる。

両親は二人暮らしだった。

車で5分ほどのところに、僕らの家族は住んでいる。

父親が亡くなった時、土地、建物の相続登記はしないままだった。

母親が亡くなり、実家は空き家になった。

相続登記はしないまま8年が過ぎる。

相続人は3人の子供たち。

妹は埼玉、姉は栃木にいる。

必然的に僕が空き家の管理をすることになる。

草木はあっという間に伸び、人の済まない家は目に見えて傷んでいった。

建物内部には、戦中戦後の時代を生きた人の常として、何でもしまい込んであった。

僕ら家族は、月に1回、実家整理日を決めた。

夏は庭の草取りをメインにし、他の季節は内部の片づけ。

洗濯機も、冷蔵庫も、テレビも、タンスも、布団も、恐れ多いことだが仏壇も、すべて我が家に運んで解体処理をした。

このまま、自分の子供たちに、これを残すわけにはいかないと、相続の手続きと、売却先を探すことにした。

空家問題は、現代の大きなテーマだ。

人口は減る一方で、空家は増え続ける。

不動産はもはや、財産ではなく、負債だ。

この言葉は、空家シンポジュウムで聴いた。

実家は昭和40年代に造成された団地。

面積は70坪くらいしかない。

都会ならいざ知らず、田舎では車を停めることすらままならない狭さだ。

田舎では自家用視野が必需品。

一人1台が普通。

これでは不動産屋でも買ってはくれまいと思っていた。

どうしたものだろう。長い間悩み続けた。

それでも、亀の歩みで片づけを続けた。

ここで、ようやく片づけの目途が付いてきた。

そんな折、隣家が売って欲しいと言ってきた。

それも2軒も。

駐車場もなく、どうしても欲しいという。

そうか、悪条件が幸いしたんだ。

みんな、同じように困っていたんだ。

そこで、話を進めながら、相続手続きも進めた。

普通は専門家に任せるらしいのだが、幸いにもリタイアした身、時間だけはある。

方々の役所に足を運び、必要書類を揃え、法務局にも3度足を運んだ。

商売人気質ではないので、金儲けには罪悪感を感じる損な性分。

負債とさえ言われる不動産を処分できるならと、格安の値段で売却することにした。

後で2軒で分けるという。

一昨日売却の話がまとまり、昨日法務局で相続登記の書類が受理された。

今日、最後の片づけ物のタンスを解体処理した。

処理した木材はロケットストーブの燃料になる。

8年の、少しづつの積み重ねが、ここに来て、一気に質の変化をもたらした。

これで、死ぬ前の気がかりが一つ少なくなった。

我が家の庭も、大きな木は何本も切った。

いろんなものを持ちすぎていても、あの世には持っていけない。

一頃流行った断捨離という言葉は好きではないが、立って半畳、寝て一畳ということだ。

自分にとって宝物でも、他人にはガラクタでしかない。

そのようにして、身の回りの物も整理しつつある。なかなか進まないのではあるが。

何ものにも囚われず、何ものも持たないすがすがしさ。

花鳥風月を愛でて、できるだけ誰にも迷惑をかけず、ひっそりと隠遁生活を楽しみたいものだ。

 

お詫び

当ブログは無料の範囲でやっているので、写真フォルダがいっぱいになりそうで、古い写真は順に削除してしまっている。

ふと気が付けば、かなり古い日付の記事を読んでいただいている場合があることに気づいた。

記事だけは残っているが、対応する写真が削除されてしまっていることがあり、お詫び申し上げます。


小春日和 

2017年11月10日 22時52分15秒 | 日記

久しぶりに暖かな日差しが、静かにあたりを包んだ。

この手作りの小屋の中で、ロケットストーブを焚いて、コーヒー豆の焙煎をする。

録音してあるラジオの落語を聞きながら。

FMとよみ寄席というこの番組は、沖縄のラジオ放送なのだが、インターネットで聴ける。

FMとよみは民放だが、なんと1時間近い落語の放送の中に、コマーシャルは入らない。

これまで聞いた落語放送の中で、最高の番組だ。

月~金までは朝5時から、土日は朝7時からの放送。

僕はアプリで録音して、好きな時に聴いている。

ありがとう。FMとよみ。

軒先に下がっているのは干し柿。

 

家の周りには3種類の山茶花が咲いている。

 

同じ椿科の花で、お茶の樹も植えてみた。

寒くて雪も多い地方なので、無事に育ってくれるだろうか。

今はレッドロビンの垣根だが、段々とお茶と山茶花に替えていこう目論んでいる。

 

今またアンネのバラが見事に咲いている。

来年は挿し木をして、友達に配ろう。

 

庭先菜園の手入れもしている。

酸度計を挿してみて驚いた。

ペーハー低いところでは3.5~4を指す。

部分的だが、強酸性ではないか。そんな場所が何か所かある。

化成肥料は一切使っていないし、原因はよくわからない。

他の場所は中生の7.0なので、苦土石灰を播いて掻き回しておいた。

そろそろ役割を終えたししとうやナス、バジルなどを片付けた。

土づくりもまだまだ道半ばだ。

 

 

11月になって、千曲川の堤防でランニングを再開した。

春先には、1キロくらい走ると脚が痺れて立っていることすらできなくなった。

整形外科に行くと、典型的な脊柱管狭窄症だという。

そのまま放っておいて、今に至る。

山登りは問題なくできるので、まあいいかと。

恐る恐る走ってみた。

1日目は、キロ6分くらいで休憩を入れながら6.4キロをやっと走った。

2日目は6キロ。3日目は9キロ。4日目は5.5キロ。

脚は痺れなかったが、かなりきつかった。

そこでキロ7分にペースを落として、次の日は13キロ走った。

桜並木が続いていて、葉が見事に紅葉していた。

遠く北アルプスは真っ白に雪化粧。

雪が来る前に、できるだけ走りに来よう。

 


信州百名山 3座を登る 熊伏山、茶臼山、鬼面山

2017年11月09日 00時10分07秒 | 登山

 

暦の上ではもう冬だ。

この地では、カラマツの紅葉が山々を染めている。

もう、何度か近くの山に雪が降った。

我が家から見る北アルプス、白馬三山から唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳と続く後立山連峰は真っ白だ。

槍、穂高と南に行くほど雪は少なくなる。

今年ももう少しで終わっていくのだなあ。

 

11月になって、信州百名山の熊伏山、茶臼山、鬼面山の三つの山を登った。

同じ信州とはいえ、二百数十キロ先の、静岡県境にあるのが熊伏山、愛知県境にあるのが茶臼山、信州のチベットともいわれる大鹿村にあるのが鬼面山。

飯田市の砂払温泉に宿を取り、かみさんと義姉を伴って登りに行った。

ちょうど紅葉真っ盛りで、いい時期に連れてきてもらったと義姉とかみさんは大喜び。

義姉はこの秋79歳になった。

それでも、山登りへの情熱はすごいものがある。

次週、雲取山のツァーに誘われているが、どうしようか迷っているという。

歩きぶりをみれば、とてもやめた方がいいなどと言える状態ではない。

是非行って来て、と強く勧めた。

 

最初に登ったのが、熊伏山。

国道152号線が青崩れ峠を挟んで途切れている。

ガイドブックによれば、登山口は信州側と遠州側にある。

信州側から登る計画を立てたが、何か虫が知らせて、現地に問い合わせた。

すると、もう10年ほど前から、信州側のルートは立ち入り禁止になっているという。

そこで、遠州側に回り込んでの登山となった。

南アルプスの雄大な山脈の脇にあり、ひっそりとしているが、実に良い山であった。

 

茶臼山は愛知県の最高峰だが、信州側の根羽村から登った。

往復で1時間もかからない山だが、愛知県側の眺望が開けていた。

簡単に1座を稼いだ。シメシメ。

 

砂払温泉は以前にも泊まったことがある。

食事も、温泉も実に満足のいく宿だ。

 

翌日は大鹿村回りで、鬼面山の登山口、地藏峠に向かった。

村はリニア新幹線の工事準備でダンプカーやトラックが走り回っていた。

この静かな山里は、工事の間だけは賑わうのだろう。

工事が終われば、一層過疎が進んだ、荒廃が目立つ村になってしまう。

儲かるのは土建業者だけだ。

この村には、もう40年以上昔、塩見岳に登る時に来たことがある。

わが村と同じ、日本一美しい村連合に加入している。

その美しい村が重機で蹂躙されているような気がする。

リニア新幹線、誰のために、何のために作るのだろう。

 

規模は全く違うが、わが村でも文化交流施設の建設が行われようとしている。

一部の人が建設推進で旗を振っている。

多分、建設乗車も手ぐすね引いて待ち構えている。

建設費25億から34億円という見通しだ。

世帯数は2,400くらい。

1世帯100万円から140万円くらいの負担となる。

それを作るために100万円出してくれ、と言われて、はいそうですかと言える世帯がどれくらいあるだろう。

羊が泣かないように毛をむしるのが、税の極意とは言いえて妙だが、意識化してみれば、そういうことだ。

高齢化が進み、過疎化が進んでいく村に、立派すぎる建物は必要ないとおもうのだが、、、、、

 

鬼面山の紅葉は実に見事なものだった。紅葉が沢山あり、ブナの林もあった。

この夏に登った聖岳、多分来年登る荒川岳、赤石岳の姿も見えた。

 

帰りに小渋川沿いに建つ赤石荘の温泉に浸かった。

浴場からの写真撮影は厳禁だという。

以前、裸の入浴客が写った写真がSNSにアップされて、問題になり、ひどい目にあったと受付の人は言う。

どこの温泉にもそんな問題が付きまとうご時世になったのだな。

少しぬるめの温泉からは紅葉に染まる赤石岳や、名前を知らない周囲の山々がよく見えた。

 

信州百名山は、これで80座の登頂となった。

本格的に雪が来る前に、今年はあと一つか二つは登ろう。

何しろ、麓まで行きつくのが大変な山ばかり残っているので、簡単ではないが、やってみよう。

そのあとは、東海道歩きの残された2区間、水口、石部、草津を歩きに行こう。

 

あとがき

写真はたくさん撮ったけれど、どの写真も捨てがたく、結局選び出せなかった。

また、自分の目で見たものを大切にしたくて、写真は敢えて載せなかった。

さらに言えば、この山旅は、すでに自己完結してしまって、改めて文章にすると、何か違うものになってしまうような気がして、詳細を書くのはやめにした。