白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

手は物を作る為にある

2015年06月28日 22時48分32秒 | 日記

久々の休日。

かねてより作りたかったミツバチの巣箱。

ようやく完成。

ミツバチが巣を作るのは来年の春。

それまでに設置場所を選定しよう。

 

 

それともうひとつ。大震災でも活躍したというロケットストーブ。

一斗缶が手に入ったので、パーライトと煙突を買ってきて作ってみた。

とても燃費がよく煙もほとんど出ないという。

調理にも使える。

 

作り上げたところでタイムアップ。

今日は核廃絶、脱原発の平和大行進に参加するので、本格的な試し運用は次回、日を改めてということになる。

自分の手で物を作ることは楽しい。とても楽しい。

次は何を作ろうか。

 

 

平和大行進は、戦争する国へひた走る安倍政権に反対の意思表示をする為にも、参加しないわけにはいかない。

平和もお仕着せではなく手作り。

手間はかかっても愛着を持ってコツコツと作り上げるものだ。

正論を掲げる新聞を潰さなければならないとは、日本を物言えぬ国に持って行こうとする本音が見える。

それに抗するのは草の根の手作りの運動。

コツコツと手作りで面白い物や平和を作り上げよう。

 

 

 

 


日本の若者よ

2015年06月24日 21時21分51秒 | 日記

その名もゆかしいほたるぶくろ。

我家の庭ではその花が今が盛りと咲き誇っている。

 

 

もう夏至も過ぎ、太陽は南に帰り始めている。

アジサイも咲き始めた。百合の花も咲いている。

 

        

 

植物たちは美しい花を咲かせるのに、安倍政権は不毛な戦争法案を成立させようとなりふり構わずゴリ押し。

アメリカの戦争に日本の若者たちが駆り出され、殺し殺される事態になる。

日本の若者よ、他人事ではない。徴兵制がひかれ、真っ先に駆り出されるのは君達だ。

君たちの未来は自らの手で切り開け。決して戦争する国への道を許してはならない。

未来は青年のものだ。

僕は『戦争を知らない子どもたち』の世代だ。

戦後民主主義の恩恵を一番受けた世代かもしれない。

あの、愚かな戦争を二度とふたたび繰り返すまい、という気配が濃厚に感じられた。

そして、人類初の原爆の被害に、原水爆禁止の運動にささやかながら関わって来た。

『原爆許すまじ』という歌も歌った。この28日には平和行進にも参加する予定。

そんなふうにして、僕らは平和を守る為に力を尽くしてきた。

だが、そんな僕らの世代も次第に年齢を重ね、今や老境に入った。

今こそ若者の出番。君達が君たちの未来を切り開くために声をあげ、立ち上がる時だ。

『戦争反対。憲法守れ』

そんな声が国会周辺のみならず、日本の津々浦々で沸き起こることを願う。


名前が どうもねえ

2015年06月14日 20時17分31秒 | 登山

季節が移り、湿気の多い毎日がやって来た。

それでも雨はほとんど降らない。庭の水撒きは必要だ。

花も移り変わって、ホタルブクロ、シモツケソウ、バラ、シャラ等に混じってクガイソウも咲き始めた。

 

高原に咲いている花で涼しげなのだが、この花の名前を言う時、いつも引っかかる。

クガイソウ。苦界に身を沈める(くがいにみをしずめる)という言葉が浮かんできてしまう。

もっと違う名前ならいいのに、といつも思う。

 

 

庭の花を見ていると、とても平和な気持ちになる。それを逆なでするような戦争法案を通そうとする動きが急だ。

安倍君は魂も良心も投げ捨てて、アメリカの忠犬になり果てた。何が何でも8月までには法案を通すことを約束してしまった。

強引な手法でゴリ押しすればするほどぼろが出て、追い詰められていかざるを得ない。

大臣に椅子欲しさに尻押しするかの政党も、うまく立ち回っているつもりだろうがそうは問屋が卸さない。

国民の圧倒的多数が戦争なんかしたくないと思っている。

国会では大政党に有利な選挙制度の元で多数を占めたが、民意を反映していない。

全国で反対運動が巻き起こっている。少しでもその運動の輪に加わりたいと、こんなTシャツを買った。

 

さっそく今日から着ている。

そもそも憲法は権力を縛るものだが、時の内閣がその憲法を勝手に捻じ曲げ、理屈にもならない屁理屈で自分の都合のいいように解釈をかえてしまうという、まさにやりたい放題の

態度が許せない。

今を戦前に引き戻そうとする流れに逆らうことは理性と良識のある者の責務。戦前の亡霊に負けるわけにはいかない。

 

 

今日の一枚

僕は毎晩温泉に入りに行く。

そこは山の中の、鄙びた温泉で、数軒の宿と八百屋、酒屋、蕎麦屋、土産物屋があるだけだ。それも夜6時にはもう閉まっている。

開湯200年以上の温泉で、源泉温度は60度以上ある。水で薄めないと入れない熱い湯だ。

大湯の前の広場の片隅に、ひっそりとこの碑はある。

木で出来た浴槽の熱い湯に身を沈めれば、疲れも悩みもじんわりと融けて流れて行くような気がする。


不遇をかこつ でも本当はものすごい僥倖に恵まれているのかもしれない

2015年06月10日 21時10分29秒 | 登山

それだけをとってみれば、美しい富士山の形。

有明富士とも呼ばれるその山は、標高だって2,268mある。

関東平野に持って行ってドンと置けば、雲取山より高く間違いなく第一級の山となるだろう。

安曇野から端正な姿を眺めながら、人はその有明山の蔭にある燕岳を目指して通過してしまう。

燕岳の登山口、中房温泉から1キロ手前に有明山の登山口は有る。

百人が燕岳を目指す中、一人が有明山に登る。

この山のおかれた場所があまりにも不遇なのだ。

燕岳は北アルプスの表銀座コースの入り口にあたる。

そんなスターの脇にぽつねんと立っている。

この山は修験者の山として開かれただけに、険しい登山道を持っている。

山行記録を読むと、ほとんどの人がその険しさについて書いている。

かつて、御多分にもれず僕もひたすら表銀座を目指した。

だが、心の中では『いつか登るべき山』としての位置をしっかり占めていた。

梅雨入り宣言は出たが、10日は晴天の予報に、有明山に登ってみようと思い立った。 

国民宿舎有明荘の裏にある駐車場に車を停めた。

車が数台停まっていたが、登山者のものか宿泊者のものか旅館関係者のものかわからなかった。

7時20分に歩き始めた。

樹林帯の中に道は細くうねうねと続いていた。

ともすればはやる気持ちを抑えながら、それでも早いペースで登って行った。

途中、一人で登る男性に追いついた。

少し話をする。

川崎から来たという。

何とモノ好きな......と思う。

シャクナゲが咲いていた。

桜色の、そこだけ何かほの暖かくなるような、上質の気品溢れる花。

 

 

山の中で、このような花に出会うことは山登りの大きな楽しみのひとつ。

険しさを増した道には、鎖場や梯子が設置されている。

適度な緊張感が気持ちをシャキッとさせてくれる。

その瞬間瞬間を生きることに懸命になれる、余計なことを考えない貴重な時間。

これも山登りの大きな喜びのひとつ。

山の中では特別に濃密な時間が流れているようだ。

このペースならどこまでも登っていける。

体には重さなんて無い。

ましてや、心には羽が付いていてどこまでも羽ばたいていける。

クライミングハイ。

この感覚を味わいたくて、僕は山に登り続けているのかもしれない。

樹林帯から稜線に飛びだした。

突然視界が開け、雲海の向こうに北アルプスの峰々が残雪をその身にまとい、額縁の無い絵のように置かれていた。

 

 

 

 

 

山頂が目の前にあった。

避雷針を兼ねた大きな鳥居は金ぴかの金属で出来ていたが、その奥には木製の古い神社があった。

その、あまりのアンバランスに思わず笑ってしまった。

ここは2,286メートルの北岳にある有明神社。

この先に中岳があり、そこに向かう細い稜線の脇に、ピンクのシャクナゲを見た。

 

 

 

 

この山で見たシャクナゲの花の色はここで見た一本だけが濃いピンクで、他は全て淡い桜色だった。

神域で、ここだけ特別なのかもしれない。

南岳の山頂に奥社があった。

登り始めて1時間45分。コースタイムの半分だ。

こんな険しい山の奥にしては立派な神社だった。

流石に修験者の愛した信仰の山だけのことはある。

参拝を済ませ、360度の立体画の一部となって全てを宇宙に身を任せきった。

自分の足で歩いてきた。

周りの人たちにたくさん助けられても来たが、それでも全部の力を出し切って生きてきた。

辿り来て いまだ山麓

人生は山登りに似ているとは言わない。

あまりに気障だから。

だが、こんな風に全てを何かに委ねて力を抜くことだって必要だ。

『あんなことを一生懸命考える必要がどこにあるのだろう 信濃高原では雄すすきの穂がなびき、、、、』

詩人立原道造は、堀辰雄に宛てた手紙の中で、そう書き送る。

ほとんど風も無く、うららかな日差しが柔らかく降り注ぐ。

神社の土台になっている石垣の上に腰を掛け、持参したにらせんべいを食べた。

とても懐かしい味。

いにしえの修験者も食べたのだろうか。

この山にファーストフードは似合わない.

このまま、自然の風景に溶け込んで定着してしまう前に、さあ降りよう。

帰路、少し寄り道をして三段の滝とたるさわの滝を見た。

新緑の中に白い水しぶきが眩しかった。

そこは中房の大駐車場から少し奥に入ったところにあったのだ。

ちっとも知らなかった。

燕岳を目指す眼には入らなかったのだ。

心ここにあらざれば見えども見えず、聞けども聞けず。

一歩引いてゆったり構えれば見えてくるものがある。

人があまり登らない不遇の山と言われるが、ひねくれ者の登山者にとって、それが大きな僥倖となっている。

 

車を停めた駐車場に10時五〇分着着。

さっそく眼の前の有明荘に行く。温泉に入る為に。

 

この温泉は硫黄の匂いがする。

大好きな温泉のひとつだ。

山登りをした後、温泉に浸かる。

これもまた、山登りを続ける大きな理由のひとつ。

今は安曇野市と名前が変わってしまったが、ここは穂高町。

名産のワサビ漬けを買わない手はない。

我家御用達のわさび屋さんが何軒かある。

今回は大町市を通って、その山岳美を眺めて帰る予定なので、途中にある寺島わさび店にした。

スーパーにあるわさび漬けとはまったくの別物で、カメから出してくれる。

熟成が進むので、1週間くらいで食べきらないとまずくなる。

合成保存料など使ってないのだ。

若返りのビタミンと言われるビタミンEを多く含むので、お土産にして友人知人にも配る。

予想通り、大町から眺める鹿島槍ヶ岳や爺ヶ岳の雄姿はヨーロッパアルプスの写真にも出て来そうな気品があった。

手前にある田園風景が、山とよくマッチしてここが日本であることを教えてくれる。

僕も農耕民族の末裔であることを、この風景を前にした時の深い感動が教えてくれる。

 

 

帰宅した庭に、薄紫のホタルブクロが2本、今年初めて花を付けて迎えてくれた。

 

 

 

 

 

 


安全を守る

2015年06月08日 21時55分40秒 | 家庭菜園

アメリカの戦争の手伝いをすることが国民の安全を守る、ということなのか。

原発を動かす事が安全を守ることなのか。

城を黒と言いくるめるこの国の首相は、狂っているとしか思えない。

 

我が身の安全を守ること。

出来るだけ自給自足で無農薬、有機栽培の野菜を食べることもそのひとつ。

2月、北信濃は深い雪の中。

リビングを温室代わりにキャベツの種を播いた。

春になり、庭先の菜園に苗を植えた。

そして、とうとう収穫の時が来た。

 

このキャベツは消毒をしていない。

少し青虫が穴をあけているが、気にしない。

安全であることの証。

この菜園の土は生ゴミや草、落葉を入れて有機質たっぷりの土に作り変えている途中。

近くに春菊やレタスを植えて、コンパニオンプランツとして虫除けをした。

まだまだ工夫次第でいい野菜が採れるのだろう。

少し遠くに借りている畑は面積が広いので、とても土作りが追いつかない。

それでも化学肥料や消毒は嫌なのでコツコツと土作りをしながら野菜を育てている。

手を入れた庭先菜園とは較べる術もないが、昨年よりは良くなるようにと、ほとんど毎日畑に通っている。

この地方は今日梅雨入りしたとみられるとの発表があった。

何しろ雨が少なくて畑は乾ききっていたので、これで潤ってくれるだろう。

 

収穫したキャベツはニンニクと玉ねぎを加えて味噌風味の野菜炒めにした。

取り立てのキャベツの甘さと香ばしさが堪らない。

これだから菜園は止められない。