白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

便利さばかり追い求めると

2015年09月26日 22時43分07秒 | 登山

中条の田んぼの会の稲刈りに行った。

そこはすごい傾斜地で小さな棚田が並んでいる。

限界集落と呼ばれるような超ド田舎。農業をやっている人はもちろん、住んでいる人も高齢者がほとんど。

我家は20年近く前から棚田のオーナーになって田植えと稲刈りに参加している。

田舎らしい田舎が気に行ったのか東京とか埼玉の都会の人もオーナーになっている。

昔ながらの鎌で一株一株刈っていく。

8株位をまとめて束ねる。

そんな作業は今時の百姓だって、多分やっていない。

虫倉山に抱かれたこの地で、田んぼの会を守って来たのは82歳になる会長さんだ。

その会長さんが手押しの稲刈り機を田んぼに持ち込んだ。

みんなで手刈りをしている横で、あっという間に刈り取り、束ねていってしまう。

うーむ、確かにこれは便利だ。高齢になってくれば、これ無しにはにっちもさっちもいかない。

技術の進歩は多大な便利さをもたらす。

だけど、一見無駄な手刈りの時に感じる喜びを奪ってしまう。

僕らの祖先が長年にわたって続けてきた手刈りの苦労や歓びを、失い忘れてしまいたくなくて、僕は棚田に通い続けた。

文明の進歩や科学技術の発達が、僕らの感情や感性を置き去りにする。

田んぼの会の存続も来年は危ぶまれる中で、僕はこれで最後になるかもしれない稲刈りをしっかりと体と心に焼きつけながら鎌を動かし続けた。

稲刈りが終わり、いつもはハゼ掛けをして天日に干すのだが、二日ほど雨が続き稲が濡れていたので、このままの状態で乾かすという。

会長の奥さんが作ってくれたおやつの時間は、毎年大きな楽しみだ。

凍み大根の煮物、ふきの煮付け、カボチャの煮物、ナスの漬物、キュウリの漬物。どれも絶品だ。

 

中条村は平成の大合併で、長野市の一部になった。

過疎の村で、それは仕方が無かったのかもしれないが、田んぼの会への行政の補助も手薄になった。

身売りした結果は、いいことなんか多分何もない。行政の効率化のために失われたものはたくさんある。

財政的な面でも、年齢の面でもそろそろ潮時なのかもしれない。

作業の後の交流会はやきもち家で行われる。

最後かもしれないと思うと、参加していきたいと思うが、午後4時からなので帰宅が遅くなる。明日はかみさんが早朝から出かける予定がある。

様々な思いを胸に抱きながら、会長さんや参加者達に挨拶をして中条を後にした。

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

時は流れ、色々なものが徐々にあるいは急激に変わっていく。

 

色々な思いが詰まった新米は例年12月に会長さんの家に取りに行くことになるのだろう。


戦場ぬ止み

2015年09月19日 22時11分37秒 | 日記

戦争法案が強行採決されたこの日、大きな怒りと深い悲しみを抱きながら、映画を見に行った。

日本の民主主義が脅かされ、戦争への足音が現実のものになろうとしている今、辺野古の新基地反対の戦いはとても大きな意味を持つ。

三上智恵監督の『標的の村』を以前に見た。高江のヘリパッド反対の戦いを描いた映画だった。

その後、新しい映画を作るというので、ささやかな募金をした。

長いこと待った甲斐あって、素晴らしい映画が出来た。

あきらめずに戦い続けることの大切さを教えてくれた。苦難の歴史の中で、それでも明るくそれを乗り越えてきた沖縄の民衆の素晴らしさを、我々は改めて学んだ。

戦争法案が通ったとはいえ、この間の民衆の戦いから、希望を持ってもよいと感じることが出来た。

もはや独裁者集団と化した自民、公明の歴史に刻まれる犯罪は、日増しに大きくなる民衆の声の前に、やがて断罪されるだろう。

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我が菜園は、大根、稲核菜、ホウレンソウ、白菜、セロリ等が育ちつつある。

そろそろ一回目の間引きをしてあげないといけない時期だ。

悪いものたちではないとしても、良い作物を育てるには空間を開けて風通しを良くしてあげないといけない。

政権与党の議員達も一人一人は必ずしも悪い人ではないにしても、集団になって育ちゆく民主主義の邪魔になるようならきっぱりと間引かなければならない。

この国の美しい空も、海も、山も、川も、森も、そして平和も我々民衆のものだ。決して政府のものではない。

次回の選挙では、今回の暴挙に手を貸した民衆の敵を、一人でも当選させないようにしよう。

野菜達が休むことなく育って行くように、民衆の意識も育って行くだろう。


蕎麦の花

2015年09月13日 22時15分47秒 | 日記

小さな畑に蕎麦の種を播いたのは、8月10日のことだ。

我が村では遊休農地の活用ということで、蕎麦の栽培が行われている。

補助金も出ている。

それは、或る程度の作付け面積と申請が必要なので、我が畑ではとても補助金の対象にはならない。

蕎麦の収穫は機械で行い、その費用も必要になる。

そんな訳で、小さな畑に播いた蕎麦は手刈り覚悟で栽培している。

その蕎麦の花が、今見頃を迎えている。

信州の秋にはこの花が良く似合う。

他の多くの畑では、もっと早く花が咲いていた。

早すぎる。多分早すぎる。

蕎麦の栽培を指導しているのはJAなのだろうか?

霜にあたる時分に収穫するのが、良い蕎麦の条件。多分。

僕は、自分で栽培した蕎麦で美味い手打ちそばを打ちたいと思っている。

たとえ少量でも手刈りで収穫し、石臼で挽き、蕎麦を打ってみたい。

村内でも、蕎麦を栽培し、イベントで蕎麦を販売するグループがある。

そして、得々と講釈をたれるその代表者に、へそ曲がりの僕は反感を抱いている。

僕は僕の道を行くのだ。修行僧のように、黙々と。

それにしても、なんて清楚な花なのだろう。

収穫は10月の終わりか11月初め頃になる。

 

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食欲の秋。

おいしい果物がたくさん出回り始めた。

体重管理に注意!

本日夜の計測結果

体重 57.4kg      体脂肪率 14.6%     基礎代謝 1308kcal

 

 

 

 


我が村始まって以来の

2015年09月12日 21時00分55秒 | 日記

戦争法案を巡って緊迫した情勢の続く中、我が村始まって以来の軽トラデモが行われた。

 

呼びかけにこたえて集まった車は10台。

久しぶりの晴天の中、スピーカーで音を出しながら村内を一周した。

農作業中の人も作業を中断して手を振ってくれる。

農村で、繁華街などどこにもない中で、どんなふうにアピールするのが効果的か考えた。

国政の問題で、農村のジジババを相手にチマチマと、『戦争法案反対!』と叫んだところで中央には届かない。

だが、草の根としては、時の政権に直接叫ばなくても、地元の人に判ってもらえるように丁寧に説明すれば、それが一番効果的だ。

なぜなら、そんな無茶苦茶な政権を誕生させるような議員を、次の選挙で選ばなくなるからだ。

採決は予断を許さない。

だが、主権者は我々だ。我々が『ノー!』と言えばそれは『ノー!』だ。

強行採決を行おうとも、我々が多数なら覆せる。

それが、人類が長い歴史の中で多くの犠牲を払いながら勝ち取って来た民主主義の原則。

突然、胸の中にひとつの歌が湧きあがる。繰り返し繰り返し、次第に大きくなる。

なつかしい、あの歌、戦いの歌が。

We shall overcome

ジョン バエズが歌った反戦の歌だ。

今の若者はラップで反戦を歌う。

昔の若者にとってはやっぱりこの歌。

我々は勝利する。

民主主義者が独裁者に負けるわけにはいかない。

 

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秋が深まっていく。

戦争法案反対の行動とバランスを取るように、情緒的な雰囲気の中に身を置く。

黒姫山の麓、信濃町まで焼きモロコシを食べに行く。

これは毎年決まった寒冷の行事。

 

この漬物は92歳になるおばあが漬けたもの。

焼きモロコシに秋の深まりを感じる。

実りの秋。リンゴ、ブドウ、梨、プラム、色々な果物も並ぶ。

北信濃の秋は実に豊かだ。

 

 

 


財務省は一体何を考えているのだ!

2015年09月08日 22時32分47秒 | 日記

消費税軽減の方法としてマイナンバー制度と組み合わせて、後で還付するという。

そんなメンドーなことするなら最初から取るな!

そもそも、生活に必要な食糧品にまで税金をかけるなんて、トンデモナイ。

財源なら有るではないか。

年間5兆円。

これを365日で割ると、1日137億円。

これは、日本の軍事費の額だ。

『軍事費を削って、暮らし、福祉に!』

今こそ、このスローガンを掲げようではないか。

それでなくとも、政権与党は戦争法案を強行採決しようとしている。

ますます軍事費が増え、暮らしの予算は減らされるだろう。

国民の暮らしを守らずして『国を守る』とはどういうことだ。

労働者派遣法も、企業を儲けさせるだけだ。

国民生活が守ることが政府の、第一の責務であるはずだ。

あらゆる点で、反国民政党と言わざるを得ない自民党と、ちょうちん持ちの公明党には早々にお引き取りいただくしか、日本再生の道はない。