雪降りの成人の日。
『こんな雪降りでは、成人式に行く人は大変だね』
ぼくが言う。
『なにか、うれしそうだね』
かみさんが応える。
『ん?、声が弾んでいるかな』
『うん、にやにやしている』
毎年、成人の日にはこんな会話が交わされる。
この日、成人を迎えた人には心からおめでとうを言おう。
その上で、素直な気持ちを少しだけ言わしてもらおう。
美しい振袖を着た二十歳のお嬢さんたちを見るのは誠にいいものだ。
反面、親に着物を作ってもらい、自分で着られず他人にそれを着せてもらう。
それでは七五三と変わらないではないか。
大いなる茶番。それで『成人でござい』とはちゃんちやらおかしい。
もちろん、表面上はそうでも、気持ちはしっかりしたものを持っている人たちも大勢いることは承知している。
なんといっても、これからの日本は彼らに託すしかないのだから。大いに期待もしている。
小布施の安市も雪降りの中だった。
ここへ毎年達磨を買いに行く。
いろいろな出店があったり振る舞いのお汁粉や甘酒があって結構楽しい。
小布施栗を使った栗餡汁粉は冷えた体と心を温めてくれる。
一画には小布施九条の会のブースがあった。
昨年誕生した亡霊内閣が、戦前に社会を戻すような危険な動きを見せている中で、九条の会は大きな砦なので、元気なのぼりを見てほっとする。
一度死んだはずの党や総理、副総理、日本経済をめちゃめちゃにした小泉内閣の戦犯、竹中平蔵の亡霊までが立ち表れようとしている中での、2,013年の船出。
庶民や貧困層のほうが富裕層より圧倒的に多数なのに、なんで、富裕層や財界、アメリカのための政治がいつまでも続くのだろうか。
もう今までのやり方が行き詰って、身の丈に合わなくなった古い上着は脱ぎ捨てるしかないのに、どうして人々は古い上着にしがみつくのだろう。
世界から核兵器が、日本からは原発がなくなり、働く貧困層がなくなることが、人類としての知性の当然の行先。
今、中南米がアメリカの支配を断ち切り、民衆が主人公となる方向へ舵を切り始めたのだが、日本は大きく後れを取っている。
成人の日、若者たちは、自分たちの未来を自分たちの手で切り開いて欲しいものだ。古い亡霊に惑わされずに。