白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

長い間あこがれ続けた南アルプス南部の山旅 聖岳

2017年08月09日 10時22分54秒 | 登山

聖平の朝はガスってはいたが、雨は上がった。

ここのトイレは驚いたことに水洗だった。きれいで下界と変わらない。

嘗ては山小屋のトイレと言えば汚いのが当たり前だった。隔世の感がある。

7月29日の予定は、聖岳に登って易老渡に下山。

聖岳は日本最南端の三千メートル峰。

日本百名山の一つであり、信州百名山の一つでもある。

聖岳。なんと美しい名前なのだろう。

光岳(てかりだけ)とともに簡単には行けない最奥の山。

イメージの中で、いつか宝石のように輝きを放つようになっていた。

その頂にいよいよ立つ日がきた。

寝坊なんかしていられない。

 

テントを撤収し、5時40分出発。

6時には西沢渡から易老渡への下山路と、聖岳への分岐点、薊畑に着いた。

相変わらず霧が流れていた。

頂上まで130分の表示。

ここにザックをデポしてサブザックに水と行動食、カメラを持って出発。

最初のピーク、小聖岳を6時30分に通過。霧の中、一瞬聖岳が見えた。

7時0分、1時間で聖岳山頂に着いた。

荷物が少ないと、なんて楽なのだろう。

標高3,013メートルの山頂は、信州百名山75座目となる。

眺望が利かないので、長居は無用。

さらに奥の奥聖岳に足を向ける。

聖岳への登りはかなりきつく、青息吐息でようやく上り着いた登山者は、とてもそれ以上奥へは行く気にならないらしく、

人影はほとんどなかった。

少しの岩場もあるが、その奥は見事なお花畑。まさに雲上の楽園。

 

独り占めの豊かで、濃密なひと時を過ごした。

奥聖岳は三千メートルにわずかに足りないが、聖岳から続く稜線がこの山域に重厚さと雄大なイメージを与える。

こういう脇役だが、どうしても欠かせない、そういうものが好きだ。

 

聖岳に戻り、このまま赤石方面に縦走して行きたい思いに駆られる。

三伏峠まで、行ってしまおうか。

食料は三日分は、優にある。脚の痺れもない。

だが、慰労度まで車を取りに来ることを考えると、そうもいかない。

高くてもタクシーで入ればよかったと、少し後悔。

名残を惜しみながら聖岳を後にする。

 

薊畑には8時20分に帰着。

ここから易老渡へ向けての下山が始まる。

その時、山の神様がご褒美をくれた。

これまで霧の中だった山々が、急に姿を見せた。まるで別れを惜しむみたいに。

二日間辿って来た、光岳から続く稜線。

改めて、ああ、あんな遠くからきたのかと感慨もひとしお。

わずか数分のうちに、また霧が帳を下ろした。

さらば、光、さらば、茶臼、さらば、上河内、さらば、聖。

 

下山路も相当に長く、急だった。

この日、三千メートルから、七百数十メートルまで、二千二百メートル以上降る。

かなり下った頃、ようやく西沢が見えた。

この川に自分でロープを手繰って移動する籠の渡しがある。

横に小さな木の橋が架かっているが、せっかくなので乗ってみる。

ワイヤーは真ん中が一番低くなっているので、そこから先が、重くてとても大変だった。

まあ、いい経験だ。

ここからは、平坦な道が続く。

振り返ると西沢の深い谷。

しばらく歩いてようやく便ヶ島に着いた。

そこには登山者とタクシーが、相乗りの客を待っていた。

自分の車のところまでは、ここから易老渡まで30分、さらに駐車場まで4キロ近く歩くことになる。

 

ここは二日前に通った光岳の登山口だ。

 

12時20分。無事に駐車場まで帰り着いた。

後はひたすら温泉を目指す。

 

遠山郷のかぐらの湯。

有名な霜月祭りがモチーフになっているらしい。

 

日本中の神様を招いて行われる祭りで、この鍋の、熱い湯をかけてもらうと健康になり、いいことがあるらしい。

鍋ならぬ湯船の湯につかり、しばし放心状態で充足感に浸っていた。

南信名物のソースかつ丼を堪能し、この山旅は終わった。

 

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この山旅はとても満足のいくものだったので、すべてはもう自己完結して、改めて文章にする気持ちが起きなかった。

それでも、やがては記憶も薄れていくので、その一端でも残しておこうかと、ようやくパソコンに向かった。

色々なブロガーが、書き続ける熱意にはただ脱帽するしかない。

もう、十日ほど前の内容になる。

今日は長崎に原爆が投下されてから72年目を迎える。

今年は核兵器禁止条約が出来た画期的な年になった。

犠牲者の方々に哀悼の意を捧げるとともに、この条約を批准する政府を一日も早く作りたい。

そもそも化学兵器や生物兵器が禁止になっているのに、なぜ核兵器は許されるのか。

アメリカの顔色ばかり窺う政府に未来はない。

原爆が落とされた月。終戦を迎えた月。葉月ともいう8月。この月に、僕は66歳になる。