北朝鮮とアメリカが恫喝ゲームをしている間にも、刻々と時は過ぎ、72年目の終戦記念日が来た。
世界で5,000万、アジアで2,000万、日本でも300万人以上の人が死んだ。
あの愚行を、再び繰り返すまいと誓ったはずなのに、、、
あの戦争の中で、15歳の少女、アンネ.フランクも死んだ。
『アンネの日記』を残して。
庭で一輪のバラが咲いた。
この花の名前は『アンネのバラ』。
「アンネのバラ」は、戦後、「アンネの日記」に感銘を受けたベルギーの園芸家デルフォルゲ(Delforge)氏が、平和への願いを込めて、アンネ没後15年目の1960年に新種のバラを作り、ただ一人生き残ったアンネの父、オットー・フランク氏に贈りました。そのバラは「アンネの形見」(Souvenir de Annefrank.f)と命名されました。ここの教会は、聖イエス会という教団の教会です(今日初めて知りましたが)。
1971年の演奏旅行中、この聖イエス会の合唱団は、イスラエルの町ナタニヤで、「アンネの日記」の著者であるアンネ・フランクの父オットー・フランク氏と、偶然出会いました。
その後もオットー氏との交流を深めるなかで、オットー氏から「アンネの形見」と名付けられた可憐なバラの苗10株が日本へ送られました。しかし、輸送事情が悪く、9株がダメになり、ただ1株だけが、合唱団の一員であった聖イエス会の創設者の庭で、奇跡的に花をつけました。この1株が、日本での「アンネのバラ」の起源です。
こういう由来を持つバラは、知人から枝をもらい挿し木したものだ。
知人は病院の先生から頂いたという。
愛と平和のシンボルとなったこのバラは、もう少し大きくなったら挿し木で増やして、友達に配るつもり。
美しい花を見るたび、アンネのことを思い出し、戦争のことや平和のことを考えるから。