そゆる日記

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何者なんだ

2009年08月30日 | 精神世界
このブログを読んで下さる方はすでにお気づきだと思うんですけど
私はトンデモ系と言われる話題が大っ好きです。(ってか、ヲタ 笑)

子供が中学生になった頃 「うちの本棚、変だよね」 って気づいたくらい
そんな本ばっかり読んでるし、ま、言ってみれば 『趣味』 でして、
いつものことですが、興味ない方はスルーでお願いします。



世の中には霊能系というか、見えちゃう系の方がいる。

どういう風に見えてるの?
見えるとどういう人生観を持つようになるの?
めちゃめちゃ興味があって、すっごく知りたい。
(みなさまの 「はいはい、またですね」 ってリアクション
見えたけど続けます 笑)



ツインスターの懇親会で、Bさんとお話しさせていただいた。
(Bさんは、すらっと背の高いおしゃれな今どき男子だけど
おだやか~な、やさし~い感じの方です。)

今までも、東京の懇親会で何回もお話しさせていただいてたけど
Bさんが 「見える」 ことは、この時初めて知った。

最初 (生まれたとき) から見えていた、と言うので
「じゃあ自分が特別だと気づいたのはいつ頃?」 と問うと
小学校高学年くらい、とのこと。でも、自分が特別とは思わず
「見えない人もいるんだ」 と気づいたとのこと。

「へえぇ、じゃ、自分が少数派だと気づいたのは?」 ときくと
「う~ん…」 と少し考えてから
「でも、みなさん見えているんだと思います」。



『誰でも実は見えている』

見える方と話していると時々これを言われることがある。
曰く、みんな、見えているが 「見えるはずがない」 と思っているので
見えたものを認めていないだけ。

もしくは 「こういう風に見えるはず」 という観念があって
それと異なる見え方をしている自分のことを 「見えない」 と
思っている。

そりゃ 「夕日が赤いね」 と言ったところで、
私の 「赤い」 と、あなたの 「赤い」 じゃ違う色かもしれなくて。
人に現実がどう見えてるかなんて確かめようもない。

『観念』 という側面から理屈を言うなら
私が 「見える」 ことを珍しがってる時点で
珍しい=自分にはない という観念があるわけで
そう思うことが 「見えなくさせている」 とも言える。

実際のところ、私にはいまだに 「見えた」 と思える経験がなく
これを言われても否定も肯定もできずにいるんだけど。



話はそれたが、Bさんが 「見える」 こと 「見える自分」 を
全肯定だったことにちょっと驚いた。
(自分を少数派とか特別とか全然、思っていない)



生まれつき見えていた方の書かれたものを読んだり
直接お話をうかがったりしていると、
「自分の当たり前」 を周囲 (家族や友人) に全否定されて
ショックを受けたって方が多い。

気持ち悪がられたり、「見えるはずがない」 と言われたり
「そんなことを外で言うんじゃない」 と止められたりして
隠さなきゃいけないと思うようになったという方が多い。

否定された瞬間 「見えなくなった」 って方もいた。

周囲は自分の 「現実」 が揺らいでしまう恐怖感から
全否定してしまうのだろうけど
言われた本人は、自分は変わっていて、
それは隠しておいたほうがいいことなんだと思ってしまうのは
当然のことだ。

人生の途中から見えるようになった方は、
両方の感覚がわかるからそうでもないと思うのだけど
生まれつきの方は、「普通」 に何とか溶け込もうと
手探りで努力してきた場合も多いようで、 「普通」 じゃない自分を、
ちょっと疎ましく思っている様子が見えることが多かった。

なので、Bさんが淡々と自分を受け入れている様子は、ちょっと新鮮。



そして、生まれつきであろうと、そうでなかろうと
「いいですね~」 とうらやましがる私は
ほぼ全員から 「見えないほうがいいです」 と言われて来た。

曰く 「見ないほうがいいものが見えてしまうから」。

それについては、以前、なるほどと思わされることがあって
ここにも書いた。→ 「知らない幸せ」

まあ、しつこく質問攻めにする私に対して
見えないほうがいいです=(イコール)
見えない人にはこの気持ちわからんだろう=
この話終わりにしていいっすか的な意味もあったと思う。
(って、どんだけしつこく質問? やなやつだなぁ、ごめんね)

ところが、Bさんは、それを口にしなかったんですね。

「あれっ?」 っと思いました。

で、自分の方から言いました。
「見なくていいものが見えて苦しいから、見えないほうがいいって
みなさん言いますよね。Bさんは、そうは思わないんですか?」



答えは



「思いません (にっこり)」 (えっっ?)



これ、ちょっとどころじゃなく、新鮮!

今までそんな答えが返ってきたことないよ!



「じゃ、じゃあ、たとえば…」 あんなとか、こんなとか
今まで聞かされてきた、見えてしまって苦しかった話をして
「こんなことは、ないんですか?」 と質問。

「それは、辛いですね。でも、自分はないですね (にっこり)」 (まじでか~)

目をぱちくりの私に

「だって、所詮は人のことで、自分がどうこうできることじゃないですから」



それは、わかる。
自分がどうこうできるのは自分だけ。

他人を自分の思い通りにしようとすることが執着を呼ぶ。
(思い通り、というのは自分の都合のいいように、というだけでなく
「幸せであってほしい」 と思う事でさえも、他人に対する期待であり
そうであってほしいと強く願うなら執着になってしまう)

執着 (ありのままを受け入れられないこと) がすべての苦しみの根源。
宗教がかって聞こえるかもしれないけど、それが現実。

それは、わかるんだけど。



まだ、若干飲み込みきれない私は、他人のことならそうだろうけど
大好きな人に対しては、なかなかそうは行かないのでは?と
「じゃあ、たとえば自分の彼女が、自分の知らないところで、
してほしくないことをしているところが見えてしまったりしたら?」 と質問。

すると、いや~、自分のした質問が、俗すぎてイヤになるような答えが
返ってしました。



「それも、今ここにいる自分がどうこうできることじゃないですもんね (にっこり)」



ずいぶん、色々なことがどうでもよくなって来た最近の私。
(「ありのままを受け入れる」 と 「どうでもいい」 は若干違うか。
ずぼらになっただけか? あ、ずぼらは最初からか。まあ、いいや)
でも、ここまで色々に執着しないって、なかなかできることじゃないと思う。
ってか、そんな人に会ったことないよ。

思わず 「Bさんの前世はすごい修行を積んだお坊さんとか
きっと、そんなんですよね」 と言っていました。
Bさんは、否定も肯定もせず、にっこり。

ちょっと見、今どき草食系男子みたく見えていたBさんの
底知れない一面を見てしまいました。

いったい、何者なんだ。