森鴎外の過ち「兵食論争」
NHKBS「フランケンシュタインの衝撃」という番組で、明治時代の陸軍と海軍の「兵食」に関する主張の違いを取り上げていた。
海軍は高木兼寛、陸軍は作家としても高名な森鴎外との間に繰り広げられた主張の違いとその結果はあまりにも傲慢、そして無惨なものであった。
日清、日露の戦争勝利は近代日本の政治および社会体制が成功への道を歩んだ成果として政府は宣伝し、国民もそう思わされ、太平洋戦争の大敗北を経験しながら日清・日露を未だに「成功体験」として信じている者達が現在の与党政権内にも数多く生息しているが、その実この二つの戦争でも兵士の命は上に立つ者の傲慢な愚かさによって無駄に失われていたのだ。
日頃戦争のことなど考えていない者にとって、戦争は戦場での銃弾飛び交う戦いのイメージしか持てないものだが、戦争映画もその場面をことさら強調して描く。
現実は日常生活があってその上に戦闘がある。食べ、排泄し、眠る。まず食べなければ戦場で戦うエネルギーが保てない。その兵食にあって、陸軍も海軍も米を食事の中心に置いた。まず米の飯、米さえあれば副食は漬物ぐらいでも力は出る。しかしこれでビタミンB1不足の脚気が蔓延する。脚気と言うと足がだるくなってきて歩くこともできなくなるぐらいの知識しかなかったが、放置しておくと死に至る病なのである。
太平洋戦争では米軍によって太平洋の空も海も押さえられ、補給もままならず、餓死及び病死が戦闘死をはるかに上回ったというが、日清・日露の戦争でも脚気で死ぬ兵士が続出していた。
海軍では早くから米食偏重の弊害に気づき、米食中心とパンや麦を混ぜた御飯を食べるグループに分け、長期航海で調査したところ、歴然とした結果になった。
これ以降、海軍は米食偏重の食事をやめている。
ところが陸軍は軍医総監である森鴎外を中心に米食に固執し、日清戦争でも日露戦争でも兵士に無念の死を与え続けた。
鴎外の後ろには東京帝国大学医学部の存在があった。鴎外自身神童として13才だかの年令で東大医学部に入学し、陸軍に軍医として務めるようになってからドイツに留学し、当時細菌学の最高峰、コレラ菌や結核菌の発見者コッホに師事している。
主食が米ではないヨーロッパに脚気患者はいない。ビタミンの存在はまだ確認されていない時代にコッホに教えを仰いでも細菌学的な示唆しか返って来ない。
医学ではなく、農学や栄養学の方面からのアプローチで脚気の原因はビタミンB1の不足にあることに到達したのが鈴木梅太郎であるが、医学部は同じ東大でも農学部出身者の鈴木の言うことに耳を傾けない。
この鴎外の最大の過ちについて、鴎外研究者たちは触れてはいるが、鴎外を断罪するような立場ではなく、さらりと流しているように思える。家に鴎外関係の本がかなりあったので、幾冊か読んだが、書く人たちが医学方面の専門家ではないということもあって、事の重大さへの言及が弱い。
この番組を見て私は改めて思った。軍医総監森鴎外の過ちと罪を。
鈴木梅太郎が世界に先駆けてビタミンB1の抽出に成功したのは明治末で、鴎外が亡くなったのは大正半ばであるが、鴎外が自分の過ちというか認識不足を認めた気配はない。
原発推進は東大閥で築かれていた。水俣病も、血液製剤によるエイズ被害も権威ある学者と言われる人たちは中々現実を認めない。自分達の間違いや力不足を認めることは自分を否定されたかのように受け止めるのか。事実の前に謙虚でないのは学問を仕事とする人間の在り方ではないと思うが、そういうことは学校という所で教えられていないのか、忘れてしまったのか。