先日、講談社発行のひろさちや著「ポケット般若心経」を手にして思ったところがありました。

遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)の現代訳
幸福な人は自然と努力ができるのです
以下に ひろさちやさんの意訳を抜粋します。
わたしたちは 一生懸命がんばらないと幸福になれない、幸福とはがんばりに対する報酬だとかんがえています。
でもそれは逆で
がんばるということは、いまの自分は駄目なんだという認識に立って、はじめから自己を否定しており、それでは幸福になれません。
いくらがんばっても 自分は駄目だ駄目だと思っているから ますます不幸になります。
だから、がんばれば幸福になるのではなく、幸福だから努力できるのです。
ああ幸せだなぁ…と思いながら、ゆったりと努力する。
そういう努力を仏教では「精進」といいます。
私はFlowのオープン以来「頑張る」よりも「精進」をつかいます。
なぜなら「頑張る」は、困難にめげないで我慢してやり抜くという意味だから。自分で好きな仕事を選んだのに、我慢…とはいわないだろう と。
「精進」は一心不乱に努力すること。こちらの方が自分の思いに近いから。
ただ、ひろさちやさんの現代訳を読んで、ああ幸せだなぁ…と思いながら、ゆったりと努力する そう思いながら精進を積み重ねていけると、もっと幸せだなぁ…と。
お客様がFlowに来てくださること、家族の協力があること、セミナーにも行きたい時に参加して勉強できること。身体が元気なこと、また元気になるような運動をすることができること。
これは幸せ以外の何物でもないでしょう。

遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)の現代訳
幸福な人は自然と努力ができるのです
以下に ひろさちやさんの意訳を抜粋します。
わたしたちは 一生懸命がんばらないと幸福になれない、幸福とはがんばりに対する報酬だとかんがえています。
でもそれは逆で
がんばるということは、いまの自分は駄目なんだという認識に立って、はじめから自己を否定しており、それでは幸福になれません。
いくらがんばっても 自分は駄目だ駄目だと思っているから ますます不幸になります。
だから、がんばれば幸福になるのではなく、幸福だから努力できるのです。
ああ幸せだなぁ…と思いながら、ゆったりと努力する。
そういう努力を仏教では「精進」といいます。
私はFlowのオープン以来「頑張る」よりも「精進」をつかいます。
なぜなら「頑張る」は、困難にめげないで我慢してやり抜くという意味だから。自分で好きな仕事を選んだのに、我慢…とはいわないだろう と。
「精進」は一心不乱に努力すること。こちらの方が自分の思いに近いから。
ただ、ひろさちやさんの現代訳を読んで、ああ幸せだなぁ…と思いながら、ゆったりと努力する そう思いながら精進を積み重ねていけると、もっと幸せだなぁ…と。
お客様がFlowに来てくださること、家族の協力があること、セミナーにも行きたい時に参加して勉強できること。身体が元気なこと、また元気になるような運動をすることができること。
これは幸せ以外の何物でもないでしょう。