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安政4年(1857)18歳の久坂玄瑞と杉文15歳は結婚する。二人は杉家に同居する形で新婚生活がはじまる。しかし翌年には松陰に代わって江戸や京都を往復する生活に入り甘い新婚生活は夢であった。しかし手紙のやり取りは続いたようです。
久坂玄瑞は長州藩の中でも最も過激な攘夷集団の明寺党を率いて関門海峡を通る外国船を5回にわたり無差別に砲撃を加えるが1隻も鎮めることができず,手荒いしっぺががえしを受けることになる。下関の砲台が連合軍に破壊,占拠され、巨額の賠償金を支払うことになるのである。
長州藩の大砲’(復元)
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