名古屋には4Mといって、松阪屋、三越、名鉄百貨店、丸栄の4つの百貨店がしのぎをけづっていました。中でも、老舗百貨店の松阪屋は他を引き離していました。名古屋といえば松阪屋、お中元、お歳暮には松阪屋のカトレヤの包装紙なければ、意味が無いといわれたぐらい、他を引き離していました。
様子が一変したのは,高島屋の進出です。15年前、名古屋駅という、交通の要所に進出、じわじわ松阪屋を追い詰めていきました。これに対して、松阪屋はJR高島屋に対抗して、名古屋駅前店を作り対抗してきましたが、名古屋駅前店の売り上げは微々たる物でかえって、、松阪屋本店の足を引っ張る結果におわりました。
そこで松阪屋は大丸と合併するという最終手段にでました。この大丸ですが、以外にも名古屋と縁があります。古くは江戸時代。京都の大文字屋(大丸)は正札現金払いを引っさげて、名古屋に進出、地元の百貨店の、いとう呉服店(松阪屋)をくるしめました。名古屋では正札なし、払いは年2回が普通でした。そして180年間明治43年に閉店するまで、営業していました。その大丸が名古屋開府400年を迎える3月1日に合併しました。それも時代の成り行きでしょう。
タカシマヤができるまでは、
4Mって言ってましたね。
松坂屋は、ほとんど出かけたことがなくて、
どこに何のお店があるのかわからないし、
高級感があって、敷居が高いです。
今は、タカシマヤのデパ地下、よーく行きます♪