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中央線がまっすぐな訳

2015-10-17 02:56:44 | 鉄道

明治3年玉川上水を利用して新宿ー羽村間に馬車鉄道が敷設された、甲州街道馬車会社である。

明治17年馬車鉄道のレールを使って蒸気鉄道計画が持ち上がるが、沿線住民が蒸気機関から出る煙で農作物が被害をうけると猛反対が起き、会社側は甲州街道や青海街道はあきらめた。

そこで登場するのが鉄道局の青年技師の仙石貢である。彼は集落の少ないコースを一直線に結べば燃料も少なくスピードも出せると定規で直線を引き、ルートを決定したのである。

この直線が中野、萩窪、、三鷹、国分寺、立川の繁栄をもたらしたのである。


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