豊後(大分県)の英雄大友宗麟の家来立花道雪の一人娘(男子なし)に生まれた誾千代は教養、武術を男並みに徹底的に叩き込まれた。彼女は城内で腰元、女中ら50人余りにも武術指南をして鍛え上げている。
誾千代が7歳の時には父道雪の居城(立花城)を譲り受けている。主家である大友家の許しを受け、通常の男性後継者に城を譲る手続きをこなしている。
やがて彼女は立花宗茂と結婚する。宗重が朝鮮半島へ渡り戦っているとき、無類の女好きの秀吉が彼女を肥前名護屋城へ彼女を呼んで手籠めにしようとしたが、それを想定していた誾千代はお付きの女中に鉄砲を持たせ、自身も武装して乗り込んだため、秀吉は何もできなかったそうです。
そういう誾千代ですが夫婦中はあまりよくなくて、やがて夫の城を出て宮永に別居する。
関ヶ原で西軍が負けた後、立花宗成は九州で抵抗していた。制圧に来た清正軍も誾千代がいる宮永を避けて進んだそうです。恐るべき立花誾千代。
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