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岩瀬は1818年三河国設楽郡(現在の新城市)に領土のあった旗本の3男として生まれ、23歳の時三河出身の旗本岩瀬貞丈の養子になる。勉学に励み幕府の役人に登用される。海防や外交の分野で頭角を現し、ペリーが再来日した54年には老中安倍正弘の抜擢で目付になる。
そして、米国やオランダ、ロシアなどの5か国と折衝し、日米通商条約をはじめとする安政の5か国条約の調印に尽力した。鎖国から開国へとかじ取りした人物とされている。
岩瀬の手腕はタウンゼン.トハリスもほめたたえている。
しかし、大老の井伊直弼と対立して、安政の大獄(1858)で失脚、その3年後には病死している。
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