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表紙はふるさとの耶馬渓鉄道です。今は廃線となり、一部の列車は列車ホテルになっています。耶馬渓鉄道の開通は大正12年、線路幅は狭軌より狭い760ミリであったが太平洋戦争まえ、軍部の圧力で1067ミリに拡幅された。
日本で最初に鉄道建設計画が持ち上がったのは明治3年1870年の事であった。明治3年3月に新橋―横浜間で建設が始まり、明治4年8月試運転が始まり、正式開通は明治5年9月である。この建設にはイギリス人技師エドモント28歳が指揮、日本側は伊藤博文、大隈重信があたった。線路幅は1067ミリの狭軌が採用された。欧米諸国や新幹線は標準軌の1435ミリである。この建設にはイギリスからの借金で行われた。ちなみに大久保利通や明治政府のほとんどはこの鉄道建設に反対している。
新橋―横浜間を歩くと8時間程度かかるのを鉄道が50分で走った、まさに文明開化である。ちなみに運賃は一番安い下等で37選5厘、5000円程度である。
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