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明治の鉄道計画は推進したのは大熊重信と伊藤博文であった。建設費のほとんどをイギリスからの借金により、イギリス人の鉄道技師エドモンド.モレル(28歳)が指導して明治3年3月に鉄道建設が始まった。そのとき建設費の安い狭軌(1067ミリ)が採用された。ちなみに我が国の鉄道はこのとき採用された1067ミリの狭軌が主流である。
明治5年の5月7日に仮営業が始まると歩くと8時間かかる新橋ー横浜間がわずか50分程度になり、、はじめ反対していた大久保利通ら政府の役人も、鉄道建設を認めずにはならなかった。ちなみに営業は一日9往復で、運賃は37銭5厘であった。今のお金に換算すると4500円ぐらいでしょう。直、エドモンドはこの年の11月に、結核が元で死亡している。
こうして文明開化の鉄道は新線路を全国へ延ばすのであるが、費用が莫大にかかる為,私営鉄道の参入を認て、全国へ鉄路をのばす。その後富国強兵を図る政府は兵員移動などの目的で明治39年には鉄道国有法を制定して、主要な幹線は国営化した。
なお、明治29年の急行列車で新橋ー神戸間は17時間9分でした。
明治45年登場の特急列車では新橋ー大阪間が11時間55ふんでした。
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