名古屋の絞りマン

城、神社 鉄道旅 政治 経済 家庭菜園 音楽 (辛口の社会批判記事)

     

平清盛 ⑨ 父忠盛

2012-02-11 06:10:45 | 人物

忠盛はその父の正盛と共に白河法皇の厩肥.祇園女子に仕える。さらには鳥羽上皇の覚えがめでたい待賢門院に重宝される。そのせいか、忠盛は13歳で左衛門少尉、16歳で京の治安維持を担当する検非違使になる。

その後、鳥羽上皇の為に「得長寿院」を建設した功績で内裏への昇殿をゆるされ、伯き守→越前守→備前守(白河院の判官代)と出世してゆくのです。

鳥羽院の時代には地方長官として院領荘園を任され、財力を蓄える。1133年に宋船が来航したのを着目し、積極的にかかわっていく。当時、日宗貿易の拠点は博多、大斉府、坊津だったが、忠盛は博多につながる神埼を領し、巨万の富をえてい。後を継いだ、清盛は大輪田泊を整備して宗貿易を独占する。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 記念弁当も出ます | トップ | パナソニックがVHS終了 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人物」カテゴリの最新記事