最終案をはねのけられた信長は12月、村重が立てこもる尼崎城の近くで村重の妻(だし)をはじめ、重臣、重臣の家族122人をはりつけにして,銃やなぎなた、槍で殺害した。
信長の怒りはそれでもおさまらず、下級武士やその家族512人を4軒の家に押し込み焼き殺した。
村重の尼崎は翌8年7月まで抗戦するがついに、尼崎城、花隈城が落ちる。さらにここから村重は茶道具だけ持って船で尾道まで逃げ隠遁した。これを知った秀吉は捨扶持を与え援助した。その後、秀吉とも別れ、寂しく没する51歳であった。
だし役の桐谷美玲
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