理想の靴下作りを目指した越智直正夫妻が道路横断中に軽トラにはねられ、亡くなりました、
越智さんは1939年愛媛の農家の11人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒で大阪の靴下おろし問屋で、でっち奉公を始める。給料は大卒初任給の⅟10の千五百円でした。朝の6時から深夜2時まで働いたそうです。13年間のでっち奉公を終え1968年に独立、問屋経営を始めるがうまくゆかず、靴下生産に乗り出す。試行錯誤の結果良質な靴下を生産。世間に受け入れられるようになり、現在では靴下の原料となる綿花栽培まではじめている。82歳で不慮の事故死では死んでも死に切れません。
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