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ペリーが黒船でやってきた1853年から明治新政府が樹立される1868年の15年間に3人の将軍と一人の天皇が亡くなっています。その天皇は孝明天皇です。孝明天皇は天然痘で死亡したことになっていますが、徹底した攘夷論者で、幕府が勅許をえずに日米修好通商条約を結んだことに激怒、あくまで幕府の手で鎖国を維持することを主張したため、討幕派の獅子から疎まれていたことから、刺客説や毒殺説が持ち上がっている。
毒殺はともかく、刺殺することなどは、常に他者の、目がある宮中で可能かというと、犯人はかわやに潜んでいて暗殺されたといわれています。
刺殺にしろ毒殺説が広まるのは絶好のタイミングで死亡したからです。孝明天皇が崩御すると討幕派の勢いをとめられなくなり、翌年には王政復古が復活、その翌年には戊辰戦争が勃発、徳川幕府は終焉を迎えるのである。
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