2012/11/24,Tofukuji,& Kyoto Station(C)Akutagwa Kenji
20012/12/24,Tofukuji,Kyoto(C)Akutagawa Kenji
2012/11/24,Tofuku-ji, ③Kyoto. 68pictures(C)Akutagawa Kenji
歴史④
近代に入って明治14年(1881年)にも大火があり、仏殿、法堂、方丈、庫裏などがこの時焼失した。
現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建だが、国宝の三門をはじめ、東司(便所)、浴室、禅堂などは焼け残り、中世の建物が現存している。
東福寺からは歴代多くの名僧を輩出しており、『元亨釈書』の著者である虎関師錬、室町時代に画僧として活躍し、その後の仏画や水墨画に多大な影響を及ぼした吉山明兆などが著名である。
…ウィキペディアから。
2012/11/24,Tofuku-ji, ③Kyoto. 68pictures(C)Akutagawa Kenji
history ④
It entered in the recent times and there was a conflagration in 1881, too, and the Buddhist sanctum, Hodo, the ten foot square, the kitchen of a temple and so on burned down at this time.
The present nave, the ten foot square, the kitchen of a temple and so on are reconstruction after Meiji, but including 三門 of the national treasure, the rest room ( the bathroom ), the bathroom, The Zen meditation hall and so on escapes the fire and the building in the Middle Ages is existing.
Yoshiyama Mincho who had a great influence on the picture of Buddha and the drawing in Indian ink after that in successive generations much noted priests, playing an active part as the picture priest in Kokan Shiren who is the author of " 元亨釈書 ", Muromachi eras, being produced and so on are famous from Tofukuji.
2012/11/24,Tofukuji Kyoto (C)Akutagawa Kenji
九条道家は開山(初代住職)として、当時宋での修行を終えて帰国していた禅僧・円爾を迎えた。
円爾は駿河国栃沢(現静岡市葵区)の人で、嘉禎元年(1235年)、宋に渡って径山(きんざん)興聖万寿禅寺の高僧・無準師範に入門。
印可(師匠の法を受け継いだというお墨付き)を得て仁治2年(1241年)、日本へ帰国した。
円爾ははじめ九州博多の承天寺に住したが、同寺が天台宗徒の迫害を受けて焼き討ちされたため、九条道家の援助で上洛、東福寺の開山に迎えられた。
東福寺の建設工事は30年以上に亘って続き、法堂(顕教寺院の「講堂」にあたる)が完成したのは文永10年(1273年)であった。
その後、元応元年(1319年)の火災をはじめたびたび焼失するが、九条家、鎌倉幕府、足利家、徳川家などの援助で再建されてきた。
昭和51年(1976年)韓国の全羅南道新安郡智島邑道徳島沖の海底から、大量の荷を積んだジャンク船が発見、引き揚げられた(新安沈船)が、積荷木簡の中には「東福寺」「十貫公用」などの字が見られることから、この船は焼失した東福寺の造営料を名目として、鎌倉幕府公認で派遣された唐船(寺社造営料唐船)であることが推測されている。