以下は3月2日に発売された月刊誌「正論」に、習近平が重視する「人民より国家体面」、と題して掲載された、世界有数の中国通である産経新聞外信部次長矢板明夫の論文からである。
日本国民は900円を持って最寄りの書店に今すぐに購読に向かわなければならない。
世界中の人達には私の英訳をベースにして伝える。
誰もが、中国共産党に対して許せない怒りを覚えるはずである。
彼らに操縦されてきた国連の態様に対しても。
それにしても習近平に率いられた中国共産党の一党独裁体制は、史上最悪であると言っても全く過言ではない。
こんな国に、お金のためになびく国際社会に対して、朝日新聞はお得意の「清貧の思想」を説教しなければならない。
朝日新聞は、一刻の猶予もなく、中国と、その追随国に対して、清貧の思想を説かなければならないのである。
今回は中国の新型コロナウイルス対策を検証したいと思います。
結論を先に言えば、中国の対応は「でたらめ」かつ後手の連続で、公益に対する正しい理解が確立されないまま、横暴が継続している。
そう要約できます。
具体的に考えるために、時系列に沿って、中国の対応を見ていきましょう。
発信源となった湖北省武漢市で初めて感染者が確認されたのは、2019年12月8日でした。その後、市内の病院では、感染者が少しずつ増えていきます。
「武漢で原因不明の肺炎患者が確認された」と小さく伝えた中国メディアもありましたが、詳しい報道は全くありませんでした。
12月下旬あたりになると、市の中心部にある、「華南海鮮市場」周辺で感染者が多くみられたことから、「感染源は海鮮市場ではないのか」といった憶測が、インターネットを通じて広がっていきました。この海鮮市場では、食用ヘビやウサギ、コウモリなどの食用小動物が販売されており、感染症の発信源である可能性が強く疑われました。市当局もすでにその’頃、感染が拡大していることを把握はしていました。
ですが、市当局は、メディアにも医療関係者にも「情報を一切外に漏らしてはならない」と箝口令を敷いてしまったのです。
実は、武漢市では日本の市議会にあたる人民代表大会が、1月6日から10日まで開催される予定になっていました。
そのあと、11日から17日には武漢市が属している、湖北省の人民代表大会が続きます。
地元共産党執行部の一年間の活動や執政方針、予算などが審議される場ですが、地方指導者にとって、議会の評価は今後の昇進に影響します。
議会開催前に、感染症など大流行されては困るのです。
日本ではまず考えにくい話ですが、今回、武漢市が肺炎の感染者について発表しなかった最大の理由、それは「指導者の都合」だったと言われています。
日本では、こうした場面で隠蔽すれば、激しく指弾され、責めを受けます。
ですが、中国当局者は決してそうは考えない。
庶民の暮らしを一義的に考えることなど、まずありません。
むしろ、自身の保身優先で、庶民を置き去りにすることへの躊躇や抵抗感などはありません。
武漢市は12月末になって、ようやく海鮮市場を閉鎖します。
ですが、ほかの対策はほとんどとりませんでした。
やったことといえば、武漢市の警察が「肺炎が流行っている」という情報をインターネットに流した者の摘発でした。
2020年1月1日、市の公安当局は「インターネット上に事実でない情報を公表し、転載した」として、医療関係者8人を処罰したと明らかにします。
8人は呼びつけられ、長時間の取り調べを受け、反省文を書かされました。
厳重注意されたのち、釈放はされましたが、その際、メディアに「デマを広め、秩序を乱す行為は許されない」と声明を出しました。
「病気のことをインターネットに書くと犯罪者にされてしまう」。
こうした恐怖心が武漢市民に植え付けられることになりました。
こうした光景からは、政府や官憲の動きをチェックし、批判するメディアの存在がいかに大きいかということを考えさせられます。
日本のメディアにも問題はあるでしょう。
それでも中国の当局者が「問題を解決せずに問題を提起した人を処罰する」ような「住民目線なきやり方」に明け暮れるのはなぜか。
それは、中国では当局の横暴や至らない点を批判的に論評し、監視するメディアが全く存在しないからだと思うのです。
中国国内で重大な問題が起きると、中国の知識人は米政府系ラジオ放送「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)をチェックします。
これは、米国側の情報のほうが、中国当局の発表よりずっと正しく有益だと彼らが考えているからです。
今回の新型コロナウイルス感染による肺炎でも、米国大使館の感染情報がチェックされ、親戚や友人に転送されていました。
トランプ大統領が、武漢の米国民を政府チャーター機で帰国させる意向を表明した際には「自国民を大事にするのは民主主義の基本だ。某国との違いは明らかだ」といった書き込みが散見されました。
自国民を顧みないし、大事にもしない。
これは別に武漢に限った話でも、感染症対策に限った話でもありません。
中国共産党の一党独裁では当たり前で、むしろ標準的な光景です。
今回の中国による「隠蔽体質」を、端的に物語っている出来事と言ってよいでしょうが、より根本的な問題は、中国社会ではそうした光景が当たり前になっていて、何とかそこを正そうという動きがなかなか起こらないことだと思います。
SARS対策担当の告発
1月になっても、武漢市の感染者は増え続けていました。
しかし、市政府は完全にこれを黙殺します。
5日、市政府は「人から人への感染は確認していない」「医療関係者の感染は確認されていない」といい、14日には、感染症の取材で訪れた複数の香港人記者を警察が一時拘束します。
撮影された写真は、強制的に削除させられました。
17日には市衛生保健委員会が「1月3日以降、新たな感染者は確認されていない」と発表します。
ですが、すでにその頃、武澆市のほとんどの病院には患者が殺到し、長蛇の列が病院の外まで続いて廊下にまで点滴を打つ患者があふれていました。
病院では、医師たちが格闘していましたが、当局からは厳しく注意されています。
患者が「咳が出る」と訴えれば、「咳止め」の薬を出し、「熱がある」といえば「趙熱剤」を出す。
対症療法に過ぎない程度の対処しかできませんでした。
1月は春節を迎えますから、帰省にともなう国民の大移動があります。
多くの中国人が故郷に戻り、春節を過ごして再び中国全土に帰る。
ですが、これで感染は一気に拡大することが避けられません。
1月20日。大きな転機が訪れます。
呼吸器の医師、鐘南山氏がテレビで感染の深刻さを語ったのです。
実は鐘氏は、17年前の2003年、重症急性呼吸器症候群(SARS)が中国で猛威をふるった時の対策責任者でした。
SARSのときも、当時の中国政府は、今回と同様、情報を隠蔽し、その結果、対応が大幅に遅れていました。
広東省の医療機関に勤務していた鐘氏は、香港メディアなどを通じて感染が広がっていると警鐘を鳴らし、政府の対応を厳しく批判する挙に出たのです。
国内外に大きな波紋が広がりましたが、当時の胡錦濤政権は今と違って鐘氏の警鐘に耳を傾け、事態の深刻さを認識しました。
北京市長と衛生相などの担当高官が更迭され、鍾氏を対策チームのリーダーに登用しました。
鐘氏は、今回も「武漢で原因不明の肺炎が流行っている」と知るや否や、すぐに専門家チームを率いて駆けつけ、調査を始めています。
そして、中央テレビを通じて「ヒトからヒトヘの感染が認められた」「感染のまん延はすでに深刻な状態にある」などと証言し、危機的な状況に警鐘を鳴らしたのです。
置き去りにされる住民
ところが、その後も中国政府の対応は全くといっていいほど変わりませんでした。
当局側は、23日午前10時から、市内と外部とをつなぐ交通を遮断し、人口1,100万人を超える武漢市を事実上「封鎖」しました。
中央の党指導部の思いつきで、地元指導者にも「寝耳に水」でした。
またしても、一般市民の生活は置き去りにされました。
重大問題の発生に当初、全く対応せずに、事態は深刻になる。
すると今度は突然、豹変して強権発動し、有無を言わせず国民生活に強引に介入してくるのです。
しかも、封鎖情報は事前に漏れてしまいました。
封鎖の数時間前に情報を知った市民が次々と武漢からぬけたそうと試みます。
駅や空港、高速道路には大勢の市民が殺到し、大混乱となりました。
ある共産党幹部は、家族を連れ、未明に自動車で隣接する江西省の親戚の家に脱出しました。
それをインターネットで得意げに公開しましたが「無責任にウイルスを拡散させた」「逃げたってことじゃないか」などと批判を浴びると、慌てて削除していました。
武漢市長が記者会見で明らかにした話では、封鎖までに実に500万もの人が武漢をぬけ出したそうです。
その人たちは、新たな感染源として全国に散ったことになります。
封鎖にあたり、物流面の準備や手当もきちんとなされていませんでした。
市内は封鎖で物資が枯渇し、スーパーからは食べ物が消えました。
病院は薬不足にあえぎ、霊安室だけでなく遺体には、毛布が掛けられ待合室の脇に放置されていく。
いつまで待っても薬がもらえない、治療が受けられない患者や家族が、業を煮やして医師に襲い掛かる、といった光景もみられました。
この稿続く。