以下は発売中の月刊誌「Hanada」に、習近平独裁体制崩壊の序曲、と題して掲載された長谷川幸洋氏の論文からである。
この論文を読んだだけでも、朝日新聞等を購読しNHKの報道番組を視聴しているだけの人達は、真相は何も分からない情報弱者になるだけであることを知るはずである。
新型肺炎とチェルノブイリ
新型肺炎が猛威を振るっている。
感染の発生源となった中国では、武漢はもちろん北京、上海のような大都市でも外出や移動が制限され、経済活動は事実上、止まったままも同然だ(2月15日現在)。
感染拡大を許した中国指導部に対する批判は、水面下でマグマのようにくすぶっている。
これから何が起きるのか。
新型肺炎の感染が報道され始めた1月下旬から、私は複数の連載コラムやラジオ、YouTube番組などで「新型肺炎はチェルノブイリ原発事故が旧ソ連崩壊の発端になったように、中国の共産党体制を崩壊させる可能性がある」と指摘してきた。
当初は「大げさすぎる」と一笑に付す中国専門家もいた。
YouTube番組にゲストで招いた近藤大介氏(ジャーナリスト)には「すごい妄想ですね」と一蹴されてしまった(別稿)。
だが、いまでは新型肺炎の感染拡大をチェルノブイリになぞらえて、中国の運命を予想する見方は珍しくない。
米紙ニューヨーク・タイムズは「習近平はどこにいるのか?」と題した2月8日付の記事で、「習近平体制に対する不満や潜在的挑戦の大きさは、ネット上に広がったチェルノブイリ事故についての言及を見れば分かる」と指摘した。
まさに、世界で多くの人が「ソ連が倒れたように、習近平体制が倒れるかもしれない」と感じているのだ。
チェルノブイリ原発事故とは、何だったか。
事故が起きたのは、1986年4月26日の現地時間午前1時25分だった。モスクワの政治指導部に第一報が入ったのは、同日早朝である。
当時、ソ連共産党書記長だったゴルバチョフ氏は「中型機械製作省がルイシコフ(首相)に報告し、彼が私に知らせてきた」と回想録に記している(『ゴルバチョフ回想録』上、新潮社、1996年)。
感染拡大を招いた大宴会
回想録によれば、ゴルバチョフ氏は直ちに政治局会議を招集し、同日中に副首相を長とする政府委員会を現場に派遣した。
委員会は翌27日に住民避難を決め、その日のうちに避難も始まったが、国内外で事故は伏せられたままだった。
世界が事故を知るのは、スウェーデンの原発で働く職員のアラーム音が鳴り響いたのがきっかけだった。
履いていた靴から検出された放射性物質が「スウェーデンの原発由来ではない」と分かり、風向きからソ連が疑われた。
スウェーデン政府が28日、ソ連政府に問い合わせて、ソ連が事故を認め、初めて世界に明らかになったのだ。
ソ連が国内で事故を公表したのは、発生から2日後の28日夜だった。
それまで、国民は何も知らなかったのである。
ゴルバチョフ氏は事故を隠蔽したという批判に対して、回想録で「我々は単に知らなかっただけだ」と否定している。
一方で、2人の「ソ連科学アカデミー会員が事故直後に政治局会議で語った発言が忘れられない」と、次のように記している。
彼らは「恐ろしいことは何も起こっていない。こんなことは工業用原子炉にはよくあることです。ウォトカを气二杯飲み、ザクースカ(注・ロシアの前菜)をつまんで一眠りすれば、それで終わりですよ」とうそぶいていたのだ。これが実態だった。
それでも、中国に比べれば、ソ連はまだマシだった。
原因不明の肺炎が昨年12月8日に確認されてから、武漢市の医師たちは同30日、SNSのグループチャットで感染拡大の可能性を語った。
すると、市の警察は年明けの1月3日、医師らを「事実でない情報をネットに流した」として呼び出し、訓戒処分にした。
その一人、李文亮さんはその後、新型肺炎に感染し、死亡した。
この問題がネットで炎上し、李医師が中国で英雄視されたのは、ご承知のとおりである。
武漢市が肺炎患者の発生を公表したのは12月31日だった。
患者発生を確認してから3週間以上も経っていた。
1月9日には専門家チームが新型コロナウイルスを検出し、死亡者がいたにもかかわらず、市長は18日に市内で、4万世帯が参加した大宴会を催している。
いまでは「この宴会が大流行の原因になった」という見方が有力だ。不注意としか言えないが、市長は疫病発生の重大事を上層部に隠しておきたかったに違いない。
感染拡大リスクよりメンツ
習近平国家主席が「断固として蔓延を封じ込めよ」と指示したのは、1月20日である。
23日に武漢封鎖を決めたが、時すでに遅し、市長は26日に「封鎖前に500万人が街を出た」と認めている。
このときの手順も不可解だった。
都市封鎖のような強硬手段をとるなら、秘密裏に準備し、発表と同時に電光石火で断行しなければ意味がない。
ところが、指導部が「23日午前10時を期して公共交通を停止する」と発表したのは、8時間前の23日午前2時5分だった。
多くの市民は、その間に逃げ出してしまった。
なかには、感染者も多くいたに違いない。
空白の8時間について、中国専門家の遠藤誉氏は「世界保健機関(WHO)に緊急事態宣言を出させないためだった」と推測している(別稿)。
WHOの緊急会議が22日夜に開かれるので、その前に封鎖方針をWHOに伝えて、緊急事態宣言を避けたかったのだ。
それが事実とすれば、中国指導部は感染拡大のリスクを知りながら、国のメンツを優先した話になる。
対応の酷さは武漢市だけではなく、北京の指導部も同じだったのだ。以上の経過を見れば、ゴルバチョフ氏が立派に見えてくる。
ゴルバチョフ氏は回想録で、原発事故を次のように総括している。 〈極度に否定的な形をとって現れたのが、所轄官庁の縄張り主義と科学の独占主義にしめつけられた原子力部門の閉鎖性と秘密性だった。……私は1986年7月3日の政治局会議で言った。「……全システムを支配していたのは、ごますり、へつらい、セクト主義と異分子への圧迫、見せびらかし、指導者を取り巻く個人的、派閥的関係の精神です」
事故は、我が国の技術が老朽化してしまったばかりか、従来のシステムがその可能性を使い果たしてしまったことをまざまざと見せつける恐ろしい証明であった。……それは途方もない重さで我々が始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまったのである〉
ソ連の失敗に学ばない中国
ゴルバチョフ氏は事故直後から、事故の重大性を認識し、共産党休制そのものに原因がある、と直感的に見抜いていた。
そうであるからこそ、その後、グラスノスチという情報公開を進めて、それを武器にペレストロイカの改革に本格的に乗り出した。
それは部分的に成功したものの、共産党体制の下で骨の髄まで染み付いた既得権益に固執する勢力のクーデターに遭って結局、ゴルバチョフ氏は失脚した。
ソ連が崩壊したのは、事故から5年後の1991年である。
習近平氏は、新型肺炎から正しく教訓を学んでいるだろうか。
残念ながら、学んでいるのは「共産党体制の閉鎖性と秘密主義が新型肺炎の大流行を招いた」という教訓ではなく、「ソ連は情報公開と改革に乗り出したために、党と国が崩壊した」という教訓であるようだ。
だから共産党支配の崩壊を避けるためには、間違っても、ソ連のように情報公開と改革を進めてはならない」と考えているように見える。その徴候もある。
李医師の死亡が報じられ、ネットで英雄視されると、中国指導部は情報統制を強化した。
国営メディアが李医師の追悼文を掲げた一方で、市民たちが追悼の言葉をネットに上げると、次々と削除し始めたのだ。
これは何を意味しているのか。
李医師の追悼が、共産党に対する抗議運動に転化するのを恐れているのだ。
これには、中国指導部がけっして忘れられない前例がある。
1989年6月の天安門事件である。
天安門事件は、直前の4月15日に死去した改革派の胡耀邦前総書記に対する追悼運動から始まった。
学生たちは胡耀邦氏の死去を悼み、彼が進めようとした政治と経済の改革を求めて、自然発生的に天安門広場に集まった。
それが巨大なうねりになって、共産党は最終的に武力で鎮圧せざるをえなくなった。
今回も李医師追悼を放置すれば「抗議の矢が自分たちに向いてくる」と警戒し、先手を打ってネットの発言を規制したのである。
中国共産党は、ソ連崩壊と天安門事件という二つの教訓を、彼らなりに「正しく」学んで対処している。
ソ連と比べて、危機への対処はお粗末な一方、批判封じ込めは、より苛烈に断行する。それが、いまの中国である。
共産党を見限る市民たち
中国指導部は、体制批判の抑え込みに成功するだろうか。
私が注目しているのは、市民たちが共産党統治の限界に気付いてしまった点だ。
中国の人々はいま、各地で勝手に自分かちの村や町に入る道路を遮断している。
土やレンガ、廃材などを積み上げて、よそ者が入ってこないように封鎖しているのだ。
制服を着た自前の自警団が、青龍刀を手に検問している例もある。 中国専門家の石平氏によれば、中国はもともと縁戚関係に基づく一族意識が強く、実質的な社会保障や教育、司法までが、同じ村で暮らす一族によって仕切られている(『中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム』産経新聞出版)。
村人たちが勝手に道路を封鎖しているのは、そんな一族意識の表れでもある。
彼らは中国共産党に統治を任せず自前の統治に乗り出した、とみるべきだ。
感染拡大が止まらず、村の封鎖が長引けば長引くほど、彼らの「自主統治」は強化されるだろう。
それは、共産党支配の弱体化につながる可能性がある。これが一点。
指導部の内ゲバが始まるかどうか、も注目点だ。
左翼の政権や運動が崩壊するのは内ゲバ、と相場が決まっている。
本誌2月号の連載で指摘したように、共産党によるウイグル人弾圧について、ニューヨーク・夕イムズに弾圧の実態を暴露した内部文書を提供したのは、匿名の政治指導部メンバーだった。
彼は、「習氏を含めた指導者たちが大量強制収容の犯罪から逃げられないようにしたかった」と動機を語っている。
これを見ても、習氏に対する反対勢力が指導部に存在しているのは確実である。
この稿続く。