この記事の場合、さらに検索回避のメタタグを追加していた。朝日新聞には、どうしてもこの記事を隠したい特別の理由があるのだろうか。疑惑は深まるばかりだ。
2019年10月21日
以下は前章の続きである。
不自然な説明と新たな衝撃事実
我々は即座に「なぜこれらふたつの記事にだけ検索を回避するメタタグが挿入されているのか?」という質問状を朝日新聞に送った。
同時に産経新聞と夕刊フジがこの問題に着目し、同様の質問を朝日新聞に送った。
朝日新聞からの回答(8月31日付)は次のようなものだった。
2014年8月22日に慰安婦問題に関する英文記事を複数配信しました。その際、記事に検索回避タグを設定し、社内の確認作業を経たのちにこのタグを解除して一般公開しました。このうち見出しが長いことから別のシステムを使って作業していた2本で、一般公開はしたものの、検索回避タグの設定解除作業の漏れがあったことが分かり、修正いたしました。詳しくは工記のとおりです。
1;記事の体裁等を最終確認するため、検索回避タグを設定して外部配信
2;確認後に順次、タグを解除
3;このうち2本で設定解除作業が漏れる
周囲の複数のTITエンジニアによると、このような運用はまず100%あり得ないという。
この通りだとしたら、朝日新聞は確定前の記事にわざわざ検索回避のメタタグを付けて外部環境でチェックしていることになる。
通常、確認作業は必ず外部からはアクセスできない環境で行うのが常識だ。
これは私のような初歩的な知識と経験しかないものにもわかることで、この朝日新聞の説明を額面通り信じるエンジニアは皆無に近い。
それにしても、よくもこのふたつの記事にだけ作業漏れがあったものだが、要は、検索回避のメタタグを付けた目的は公開前の確認作業で、メタタグが残ったのは作業漏れだったという説明である。
この頃までに、複数の専門知識があるネット民から私に様々なアドバイスや仮説の提供があった。
そこで私は、友人のエンジニアに付き合ってもらい、改めて自分自身でそれらの仮説を検証することにした。
夜のファミレスであらゆる角度から英語と日本語の関連記事を検証した。
すると、見落としていた事実が浮上した。
なんと、「挺身隊と混同」の日本語オリジナルの記事(「『挺身隊』との混同 当時は研究が乏しく同一視」)にも検索回避のメタタグが人力されていたのだ。
確かに、いくら検索しても、この記事に直接辿り着くことができない。
そこで私が考えたことは、このメタタグがいつ挿入されたかを検証することだ。
ネットには、世界中のウェブサイトの履歴を片っ端から保存しているサイトがある。
このサービスを利用して、この記事が2014年8月5日に初めて公開された際の状態を確認するのだ。
幸い、当時のファイルが保存されていた。
さっそくソースページを調べてみると、ない。
検索回避メタタグが見当たらないのだ。
どうやら、問題のメタタグは2017年の9月以降に挿入されたらしいことがわかった。
これはどういうことか?
このメタタグは記事公開のずっと後になって、何らかの目的で恣意的に挿入されたのだ。
これを前述の「公開時の作業漏れ」で説明することはできない。
疑惑は深まった。
隠したかったとしか思えない
9月9日付の産経新聞朝刊によれば、本件に関する産経新聞の質問に対し、朝日新聞は次のように答えたという。
「8月23日に英語版のタグについて産経新聞の取材を受けた際、日本語版の記事についても確認作業をした。その際に配信システムの操作を誤り、記事の設定が変わっていたことが分かった」(記事より引用)
前回が「公開時の作業漏れで削除を忘れ」で今回は「英語版からメタタグを削除する作業の流れでチェックした日本語版に間違ってメタタグを加えてしまった」。
そんなことがあり得るのか。
朝日新聞の回答には全く現実味がない。
しかし、メタタグ以外にも新たな発見があったのだ。
朝日新聞は、11本の日本語の記事にも英語の記事にも、公開当初はなかった公開期限を設定していた。
その公開期限を過ぎると、記事は朝日新聞のサイトから姿を消し、検索することもできなくなる。
英語記事の公開期限が2100年12月1日、そして日本語記事の公開期限がなぜか2019年4月30日なのだ。
つまり、日本語の記事11本は、平成の世の終わりとともに消滅するようにプログラムされているのである。
産経新聞によると、これに対する朝日新聞の回答は、「朝日デジタルの記事の大半は一定期間を過ぎると公開されなくなる。慰安婦問題の記事は長期の公開が必要と考え、2016年4月に仮の設定として公開期限を2019年までとした」というものだった。
実は、日本語の「挺身隊との混同」の記事の履歴を検証すると、朝日新聞が過去にもこの記事の公開期限を操作していた形跡があり、2015年8月から2017年4月ぐらいまで、1年8ヵ月程度検索できない状態になっていた期間が存在したらしいことがわかっている。
この記事の場合、さらに検索回避のメタタグを追加していた。
朝日新聞には、どうしてもこの記事を隠したい特別の理由があるのだろうか。
疑惑は深まるばかりだ。
この稿続く。
不自然な説明と新たな衝撃事実
我々は即座に「なぜこれらふたつの記事にだけ検索を回避するメタタグが挿入されているのか?」という質問状を朝日新聞に送った。
同時に産経新聞と夕刊フジがこの問題に着目し、同様の質問を朝日新聞に送った。
朝日新聞からの回答(8月31日付)は次のようなものだった。
2014年8月22日に慰安婦問題に関する英文記事を複数配信しました。その際、記事に検索回避タグを設定し、社内の確認作業を経たのちにこのタグを解除して一般公開しました。このうち見出しが長いことから別のシステムを使って作業していた2本で、一般公開はしたものの、検索回避タグの設定解除作業の漏れがあったことが分かり、修正いたしました。詳しくは工記のとおりです。
1;記事の体裁等を最終確認するため、検索回避タグを設定して外部配信
2;確認後に順次、タグを解除
3;このうち2本で設定解除作業が漏れる
周囲の複数のTITエンジニアによると、このような運用はまず100%あり得ないという。
この通りだとしたら、朝日新聞は確定前の記事にわざわざ検索回避のメタタグを付けて外部環境でチェックしていることになる。
通常、確認作業は必ず外部からはアクセスできない環境で行うのが常識だ。
これは私のような初歩的な知識と経験しかないものにもわかることで、この朝日新聞の説明を額面通り信じるエンジニアは皆無に近い。
それにしても、よくもこのふたつの記事にだけ作業漏れがあったものだが、要は、検索回避のメタタグを付けた目的は公開前の確認作業で、メタタグが残ったのは作業漏れだったという説明である。
この頃までに、複数の専門知識があるネット民から私に様々なアドバイスや仮説の提供があった。
そこで私は、友人のエンジニアに付き合ってもらい、改めて自分自身でそれらの仮説を検証することにした。
夜のファミレスであらゆる角度から英語と日本語の関連記事を検証した。
すると、見落としていた事実が浮上した。
なんと、「挺身隊と混同」の日本語オリジナルの記事(「『挺身隊』との混同 当時は研究が乏しく同一視」)にも検索回避のメタタグが人力されていたのだ。
確かに、いくら検索しても、この記事に直接辿り着くことができない。
そこで私が考えたことは、このメタタグがいつ挿入されたかを検証することだ。
ネットには、世界中のウェブサイトの履歴を片っ端から保存しているサイトがある。
このサービスを利用して、この記事が2014年8月5日に初めて公開された際の状態を確認するのだ。
幸い、当時のファイルが保存されていた。
さっそくソースページを調べてみると、ない。
検索回避メタタグが見当たらないのだ。
どうやら、問題のメタタグは2017年の9月以降に挿入されたらしいことがわかった。
これはどういうことか?
このメタタグは記事公開のずっと後になって、何らかの目的で恣意的に挿入されたのだ。
これを前述の「公開時の作業漏れ」で説明することはできない。
疑惑は深まった。
隠したかったとしか思えない
9月9日付の産経新聞朝刊によれば、本件に関する産経新聞の質問に対し、朝日新聞は次のように答えたという。
「8月23日に英語版のタグについて産経新聞の取材を受けた際、日本語版の記事についても確認作業をした。その際に配信システムの操作を誤り、記事の設定が変わっていたことが分かった」(記事より引用)
前回が「公開時の作業漏れで削除を忘れ」で今回は「英語版からメタタグを削除する作業の流れでチェックした日本語版に間違ってメタタグを加えてしまった」。
そんなことがあり得るのか。
朝日新聞の回答には全く現実味がない。
しかし、メタタグ以外にも新たな発見があったのだ。
朝日新聞は、11本の日本語の記事にも英語の記事にも、公開当初はなかった公開期限を設定していた。
その公開期限を過ぎると、記事は朝日新聞のサイトから姿を消し、検索することもできなくなる。
英語記事の公開期限が2100年12月1日、そして日本語記事の公開期限がなぜか2019年4月30日なのだ。
つまり、日本語の記事11本は、平成の世の終わりとともに消滅するようにプログラムされているのである。
産経新聞によると、これに対する朝日新聞の回答は、「朝日デジタルの記事の大半は一定期間を過ぎると公開されなくなる。慰安婦問題の記事は長期の公開が必要と考え、2016年4月に仮の設定として公開期限を2019年までとした」というものだった。
実は、日本語の「挺身隊との混同」の記事の履歴を検証すると、朝日新聞が過去にもこの記事の公開期限を操作していた形跡があり、2015年8月から2017年4月ぐらいまで、1年8ヵ月程度検索できない状態になっていた期間が存在したらしいことがわかっている。
この記事の場合、さらに検索回避のメタタグを追加していた。
朝日新聞には、どうしてもこの記事を隠したい特別の理由があるのだろうか。
疑惑は深まるばかりだ。
この稿続く。