2024年2月10日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「水軍の城・大野城と知多の名城・大草城へ行ってきました。
講師は七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。
今回の訪問地です。
今回は①齋年寺-1-。
スタートは、ゼロ、名鉄大野町駅です。
始めて利用したかも?
前においしそうなえびせんべい屋「津多屋」さんがありました。
帰りに2袋買いました。
途中、ふらっと本多忠勝の子孫の方が立ち寄られたのこと。
忠勝は、関ヶ原の戦いの後、伊勢国桑名10万石の藩主となり、墓所は桑名市の浄土寺にあります。地元の人なのでありうることでしょう。
東龍寺です。
家康に関係の深い寺です。
元々、家康の母、於大の方は四代緒川城主の水野忠政の子です。
知多半島は、水野氏の影響力が強く、関係の地が多くあるのです。
本能寺の変の時、家康は大坂から岡崎城へ帰還するために伊賀越え後、船で知多半島につき、さらに知多半島を周り船で三河大浜へと渡ったといわれています。
知多半島で数日滞在したのが、この東龍寺なのです。東龍寺の住職は、於大の方の妹の子で家康の従兄弟だからなのです。
現在も家康の若かりし頃の肖像画をはじめ、徳川家ゆかりの掛け軸が大切に保管されているそうです。
画像出典 https://www.chitamaru.jp/art/2951/
いよいよ齋年寺です。
場所を確認しましょう。
寺は戦国時代には兵の集合・宿泊場、時には要塞になることもありました。
そのため、重要な寺は、街道沿いにあることが多いのです。この場合も同様ですね。
鳴海から常滑、師崎まで常滑街道が通じていますが、その間に、鷲津砦、大高城もあります。
くわしくは次をご覧ください。
ここから https://network2010.org/article/275
齋年寺に戻りましょう。
家紋が「扇紋」です。
「扇紋」だけも100種ほどありますが、例をご覧ください。骨は3本、5本、7本とあります。
出典 https://irohakamon.com/kamon/ougi/
すぐ上(左から3番目)の島原扇紋は、10本の骨があります。
齋年寺の紋は「9本」。珍しいのです。
案内板です。
文字起こししてみましょう。
尾張大野散策路
⑰ 斉年寺
萬松山斉年寺は、曹洞宗の寺院で、大野城主佐治家の菩提寺として知られています。
当寺は、初め、享禄年間(一五二八~三一) 宮山の大野城の城内に建立されましたが、天正十五年(一五八七) 大野城とともに亡び、ついで、天正十六年現在地に再建されました。
寺宝に、国指定重要文化財の「達磨大師二祖慧可断臂図(えかだんぴず)」、市指定文化財の青磁香炉、木造釈迦如来座像があります。
長くなりました。
明日に続きます。
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