現行指導要領の作成の中心者である梶田叡一先生の思考力は言葉の力からを紹介します。
ぶんけいのサイトにあります。
http://www.bunkei.co.jp/school/column/1409.html
特に印象に残ったのは次の部分です。
言葉の力の育成は,キーワードを大事にするといった土台から始まって,「読む」「書く」の3水準を大切にしていただきたいものです。(別表資料参照)
第1水準は「語句と約束事」,つまり基本的な言語事項の習得です。言葉の体系は,社会的な約束事です。その約束事にそって読み取ることができ,聞き取ることができなくてはなりません。また,話すときも書くときも,同様に約束事にそった形でできなければなりません。これを土台にいつもおかなければなりません。
第2水準は「論理構造」をとらえるができ,また表現できるということです。収束思考の重視と言っていいでしょう。論理的に構造的に読み取れる,聞き取れる。論理的に構造的に書き表すことができる,話すことができる。5W1Hとか要旨・主題といった,構造的な理解と表現の重視です。
第3水準は「イメージや感情の喚起」です。拡散思考の重視と言っていいでしょう。1つの言葉をきっかけに,いろいろなイメージや感情がわきおこってくる,逆にいうと,1つの言葉を発するときも,書き表すときも,そこから喚起されるイメージ,感情を念頭においておこなうことです。
ここで,第2水準が,これが日本の教育で欠けていたのではないか,と批判しているのが,三森ゆりかさんですね。批判のポイントは,第2水準の「論理的に」というのがなくて第3水準へポンととんでいきがちになっていたのではないか,ということです。
次が決定的です。
例えば,国語の授業で文学教材を読ませるとします。そこですぐに,主人公はどんな気持ちだろうね,と発問してしまうことがあります。第1水準もおろそかになったまま,第2水準,主人公の位置づけの論理的構造的なとらえも抜きにしたまま,感情移入的に主人公の気持ちを考えようとしがちではなかったでしょうか。
全く同感です。
言語力育成協議会議や専門部会などでは、国語教科書から文学教材を追放しよう、論理的教材だけにしようという主張まで出たそうです。
それは行きすぎですが、正解のない「どんな気持ち?」を話し合う授業がまだ主流になっていないでしょうか。
文学作品といえども、論理的に構造的に読み取り、合理的推論を話し合う収束思考をの授業を期待します。
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