あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

碧南FWへ行ってきました -5-

2023-06-15 07:05:43 | 取材・旅行

2023年6月10日(土)、中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」第3回 「織田信長初陣の地で家康伊賀越上陸地の三河大浜」へ行ってきました。

その様子を、数回にわたって紹介します。今回はその第5回。

清浄院

「愛知県碧南市・西方寺・海徳寺・清浄院」2022.5.22

大磯屋

おいしい焼きそば麺で有名です。

大浜東照宮です。

東照宮は全国に130あるそうです。

 

下の動画2分10秒で大浜東照宮が出てきます。

オニケンTV#西三河#徳川家康ゆかりの地を巡る#称名寺#碧南#大浜#てらまち#精進料理#東照宮#藤井達吉#味醂#徳川#家康#竹千代#松平#歴史#岡崎#座禅#おおにし#大西#健介#衆議院#愛知#13区

称名寺です。三河松平家(徳川家)と関わりが深い時宗の檀林寺院。境内に三州大浜東照宮があります。


徳川家康公幼名竹千代は十五世一天和尚が命名したといわれています。

その根拠が、ここでの父、広忠の句。

「めぐりはひろき 園のちよ竹

しかし、待て!

家康の祖父、松平 清康(7代)の幼名は竹千代。

その父、松平 信忠(6代)の幼名は竹千代。

その父、松平 長親(5代)の幼名は竹千代。

その父、松平 親忠(4代)の幼名は竹千代。

その父、松平信光(3代)の幼名は分かりません。

家康は親氏を初代とすると9代めですが、4代から7代は、すべて幼名が竹千代なのです。

この本には、27ページに命名の逸話が出てくるのですが、このことには触れられていません。

疑問です?????

 

徳川家の墓です。

松平初代の親氏の祖父、世良田親季の墓です。世良田親季は、得川親季ともいい、新田氏の分家です。

徳川家が源氏である根拠になっています。上野国新田郡得川郷(今の群馬県太田市)に領地が与えられました。

バスガイドぶらり旅 vol.88 三河 碧南市 大浜てらまち巡り

7分過ぎに称名寺

11分30秒で東照宮

12分33秒に下の天満宮

13分7秒には上のお墓が出てきます。

松平初代の親氏については、次の本の、15ページに書かれています。

親氏は、徳阿弥というという、時宗の僧侶です。

だとしたら、松平親氏の祖父は、本当に世良田親季か???

家康が源氏の子孫にするために、ここで何か細工をしているのでは???

Wikipediaによると

 しかし、この系譜は徳川家康永禄9年(1566年)に叙任奏請をする際、世良田氏の系譜と自らの系譜をつなげたことが、日本史学者渡辺世祐により論証されている[2]。今日の学界では家康によって粉飾された系譜というのが通説になっている[2]

ただ、大樹寺の多宝塔の棟札に、家康の祖父・清康が世良田次郎三郎と署名しているのです。新田流の源氏ということです。

疑問が膨らみます!

署名は家康が偽装した???

この点は下の本では触れられていません。


碧南FWへ行ってきました -1-

碧南FWへ行ってきました -2-

碧南FWへ行ってきました -3-

碧南FWへ行ってきました -4-

碧南FWへ行ってきました -5-

碧南FWへ行ってきました -最終回-

このブログでの他のシリーズは・・・

ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-  タイ・バンコク 見てある記-1-  シェムリアップみてある記 -1-  香港に来ています  台湾レポート-1-  平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-  なごや探索 出雲 函館 京都散策  さわやか中欧 見てある記 -1-   美濃 見てある記 -1-  東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW  長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1-  犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1-

社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修その2 ブリスベン


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。