震災から1か月たちました。
今朝の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 震災1カ月 住まいの確保に全力を
・ パナマ文書 まずは先進国が動け
読売新聞
・ 熊本地震1か月 復興に向けた道筋を描きたい(2016年05月14日)
・ 舛添都知事謝罪 政治資金の流用を否定できず (2016年05月14日)
毎日新聞
・ 熊本地震1カ月 住まいの再建が急務だ
・ 失語症 理解と支援が足りない
日本経済新聞
・ 熊本地震の被害検証し耐震補強に生かせ
・ ブラジルに必要な政治決断
産経新聞
・ 台湾政権交代 地域の安定に資する道を
・ 都知事の資金問題 不信拭う説明が足りない
中日新聞
・ 名古屋城復元 市民の熱意欠かせない
・ ALS患者拒否 見過ごせぬ国会の差別
※ 震災関係が4社並びました。
ここでは名古屋城を取り上げます。
「詳細な実測図に基づき、往時そのままに木造の名古屋城天守閣を復元する-。夢のある計画ではあるが、市民の関心は高まっているだろうか。街のシンボルである。皆の心が盛り上がらねば。
河村たかし市長が旗を振る天守閣の木造復元計画について、名古屋市は、市民向けの説明会と二万人規模のアンケートを始めた。その結果を取りまとめ、六月議会に設計費などを盛り込んだ予算案を諮る。天守閣の行方を左右する岐路を迎えることになる。」
私は大賛成です。
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が2009年に国宝に指定されました。
1909年(明治42年)の建築で、明治以降の建築物としては初めての指定です。
建築後100年で国宝になれるのです。
名古屋城はもともと国宝でした。
そのまま実測図通り当時のまま再建すれば、国宝としての根拠もあります。
100年後は無理でも、200年か300年後の国宝を目指せばよいのです。
「木造復元の場合、事業費は約四百七十四億~五百五億円。税金は使わずに市債の発行などで財源を確保し、全額、入場料収入で返済できるという。ただし、年間入場者が従来の倍の三百六十万人に増えると想定しての試算である。」
「徳川家康の命で五層五階の天守閣が完成したのは一六一二年。延べ床面積は江戸城天守を上回る規模で、一九三〇年には国宝第一号に指定された。その後、市が調査して詳細な実測図を残した。
その天守閣は四五年五月、空襲で焼失。現天守閣は復興のシンボルとして五九年に再建された。
わが街の城が焼け落ちる姿は二度と見たくない、と願ったコンクリートでの再建に、市民らは事業費の三分の一を寄付して心意気を示したのである。
確かに地震対策は待ったなしである。でも、東京五輪をにらんだ前のめりの建て替え論議に市民の心は付いてきているだろうか。
殿様の命で造る城ではない。市民の城を築くのに何より欠かせぬものは市民の意気込みだろう。」
ぜひ木造で再建してほしい。将来の国宝とするために・・・・。
今朝の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 震災1カ月 住まいの確保に全力を
・ パナマ文書 まずは先進国が動け
読売新聞
・ 熊本地震1か月 復興に向けた道筋を描きたい(2016年05月14日)
・ 舛添都知事謝罪 政治資金の流用を否定できず (2016年05月14日)
毎日新聞
・ 熊本地震1カ月 住まいの再建が急務だ
・ 失語症 理解と支援が足りない
日本経済新聞
・ 熊本地震の被害検証し耐震補強に生かせ
・ ブラジルに必要な政治決断
産経新聞
・ 台湾政権交代 地域の安定に資する道を
・ 都知事の資金問題 不信拭う説明が足りない
中日新聞
・ 名古屋城復元 市民の熱意欠かせない
・ ALS患者拒否 見過ごせぬ国会の差別
※ 震災関係が4社並びました。
ここでは名古屋城を取り上げます。
「詳細な実測図に基づき、往時そのままに木造の名古屋城天守閣を復元する-。夢のある計画ではあるが、市民の関心は高まっているだろうか。街のシンボルである。皆の心が盛り上がらねば。
河村たかし市長が旗を振る天守閣の木造復元計画について、名古屋市は、市民向けの説明会と二万人規模のアンケートを始めた。その結果を取りまとめ、六月議会に設計費などを盛り込んだ予算案を諮る。天守閣の行方を左右する岐路を迎えることになる。」
私は大賛成です。
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が2009年に国宝に指定されました。
1909年(明治42年)の建築で、明治以降の建築物としては初めての指定です。
建築後100年で国宝になれるのです。
名古屋城はもともと国宝でした。
そのまま実測図通り当時のまま再建すれば、国宝としての根拠もあります。
100年後は無理でも、200年か300年後の国宝を目指せばよいのです。
「木造復元の場合、事業費は約四百七十四億~五百五億円。税金は使わずに市債の発行などで財源を確保し、全額、入場料収入で返済できるという。ただし、年間入場者が従来の倍の三百六十万人に増えると想定しての試算である。」
「徳川家康の命で五層五階の天守閣が完成したのは一六一二年。延べ床面積は江戸城天守を上回る規模で、一九三〇年には国宝第一号に指定された。その後、市が調査して詳細な実測図を残した。
その天守閣は四五年五月、空襲で焼失。現天守閣は復興のシンボルとして五九年に再建された。
わが街の城が焼け落ちる姿は二度と見たくない、と願ったコンクリートでの再建に、市民らは事業費の三分の一を寄付して心意気を示したのである。
確かに地震対策は待ったなしである。でも、東京五輪をにらんだ前のめりの建て替え論議に市民の心は付いてきているだろうか。
殿様の命で造る城ではない。市民の城を築くのに何より欠かせぬものは市民の意気込みだろう。」
ぜひ木造で再建してほしい。将来の国宝とするために・・・・。