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12月14日は新聞休刊日

2015-12-14 05:48:59 | 社説を読む
今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを詳記します。

朝日新聞
・ いかにも愚問であった。北欧フィンランドで大企業を辞めて会社を起こした人への取材中。子どもが10人いるというので、「事業に失敗したら教育費はどうしよう、と心配になりませんか」とたずねた。向こうはきょとんとしている

▼かの国では教育は大学まですべて無料、大学生の生活費まで出るのだ。出産の時には「育児小包ログイン前の続き」なる箱が届いて、肌着から防寒着までそろう。子どもは社会で面倒を見るとの考え方が確立している

▼そんな話を思い出したのは、国立大学の授業料が16年後に年93万円まで値上がりするかも、との試算を紙面で読んだからだ。20万円もしなかった1980年代初めは遠い昔。北欧の高い税負担を割り引いても、彼我の差にため息が出る

▼我が国で所得格差が教育格差に転じていると言われて久しい。4年制大学の進学率は親の年収が1千万円を超えると62%なのに、400万円以下では31%にとどまるとの調査もある。私立中学や塾に行かせられるか否かも大きいのだろう

▼「教育を受ければ、もっと社会に貢献できる子がいる。もったいなくないでしょうか」と、NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さんは言う。高校や大学の受験に向けて学習支援をしているのはそのためだ。学生や社会人がボランティアで教える

▼日本でも、子どもたちへの「小包」が要る。詰めるのは、学ぶ場、困難を抱える親への支援、無償の奨学金などか。もちろん、お金はかかる。でも、そんなバラマキなら悪くない。


毎日新聞
・ 東京・新宿の歌舞伎町(かぶきちょう)は匿名でも生きていける街だ。過去に触れられたくない人たちが日本一の繁華街に居場所を求める。そこに一軒のギョーザ専門店ができて半年が過ぎた。「駆け込み餃子」という

▲刑務所や少年院を出た人がアルバイトをしている。公益社団法人「日本駆け込み寺」がつくった。人の中で仕事に慣れながら再起を目指す場だ。「出所者の職場」を堂々とうたう

▲開店に奔走したのは「日本駆け込み寺」の千葉龍一(ちば・りゅういち)さん(33)。身内の暴力や借金に悩む人の相談に応じてきた。こう言われたことがある。「おかげできょうも一日生きられました」。役に立てたかもしれない。「でも僕の方こそ救われている」と言う

▲大学2年の春、運転する車がガードレールに衝突した。助手席の友が亡くなった。高校の野球部のチームメート。野球部の仲間たちが減軽を嘆願した。「あいつの分まで生きろ」。判決に執行猶予が付く。償うことなどできるのか。人の役に立ちたいと弁護士を目指したが試験に落ち続けた。インターネットで「駆け込み寺」のスタッフ募集を知った時、30歳を過ぎていた

▲ある若者が店で働く。16歳の時に親が家を出てから一人で生きてきた。裏切られるのが怖くて誰も信じられなくなった。傷害事件を起こし、逮捕された。今は接客を任されている。自信も芽生えた。仕事がきつくても店がにぎわうとうれしい。千葉さんを兄のように慕う

▲師走の歌舞伎町に人の波が押し寄せる。「駆け込み餃子」はかき入れ時だ。それぞれの人生が匿名の街で交差する。その中に、悲しみを抱えながら生き直そうとする人がいる。  


日本経済新聞
・  「毎晩、父さんは翌日の狩り用に弾丸を作ります。ローラと姉のメアリーは父さんを手伝います」。米・ウィスコンシン州を舞台に19世紀の開拓生活を描いたワイルダーの小説「大きな森の小さな家」の一節だ。銃身や台木が磨かれるのを娘らが好奇心満々で見つめる。

▼銃は森から食糧、毛皮を得るため、そしてヒョウなど猛獣から家族や家畜を守るため、欠かせぬ用具だった。日々、丁寧に扱う様子から、人々の自治と自立への気構えが感じられる。国の成り立ちにも思いが行く。安息日を守る信心深い暮らしのなかには、百数十年後、乱射が打ち続く社会へと陥る兆候などみじんもない。

▼カリフォルニア州で14人が死亡した事件で、オバマ大統領が改めて銃規制の必要性を強く訴えた。「国家の恥辱」「マッチョな自警」。ニューヨーク・タイムズ紙は異例の社説で高性能の銃のまん延をこう評した。犯人の夫婦は過激思想に感化されていたらしいが、銃器の入手が困難ならば、こんな惨劇にはなっていまい。

▼幸いにも、日本では市民が銃に触れることはまずない。銃を発射した罪の最高刑は無期懲役だ。戦後すぐ「日本人は12歳」と指弾され、米国から民主的考え方、個や人権の重みを教わった。だが、先生格の国では今、どんな事件にも動じぬ岩盤のような銃関連団体の存在もあり、議論は滞る。こちらが道を説く番だろうか。

 
産経新聞
・ 師走には9つの語源説があると聞く。僧侶が駆ける「師馳(しは)す」、事をなし終える意味の「為(し)果つ」など、ものの本に並ぶ諸説はどれも本物らしい顔つきをしている。ゆく年に名残惜しさを醸すのは、「四極(しはつ)」か。「四季の果てる月」の意味という。

 ▼12月の列島を覆った一昨日の陽気に、面食らった方も多かろう。台風まがいの強風あり、三重県では夏日あり。都心では、ジングルベルの鳴り渡る交差点を、半袖姿の若者が行き交った。12月を「春待月」「梅初月」ともいう。どの呼び名も半袖では味わいがない。

 ▼明治8~9年は88日、同9~10年は89日で、時代を追っていくと平成25~26年は6日、同26~27年は13日となる。最低気温が0度に満たない東京の「冬日」(気象庁調べ)は、この百数十年で大きく数を減らしている。冬の色も味わいも、損なわれるはずである。

 ▼地球が被るストレスを思えば、上昇を続ける気温への、次の一手に考慮時間はいるまい。今世紀後半に、温室効果ガス排出の実質ゼロを目指す。是非を待たない結論であろう。国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)は、それでも会期が延長された。

▼温暖化対策が遅れる途上国への資金の援助をめぐって、先進国と新興国の意見がなかなか折り合わなかった。太平洋の島国は将来、国土が海に没する恐れもある。悲鳴を上げる地球への理解ではなく、国々の利害が議論を引きずる。感覚の鈍さが不思議でならない。

 ▼機械は無情である。「しきのはてる」とパソコンに打ち込み変換する。「識(=分別)の果てる」「色の果てる」「士気の果てる」…。人類もそこまで愚かではないよと削除ボタンを押してみたものの、誤変換と言い切れないところがつらい。
   
中日新聞
・ 幕末期、江戸の治安は乱れに乱れ、追いはぎが夜な夜な出没したそうである

▼その時代を描いた落語の「蔵前駕籠(くらまえかご)」。追いはぎが出ようとも駕籠で遊びに出かけたいという男と、駕籠屋さんの意気。こんなクスグリ(本筋とは関係なく軽い笑いをとる話)がある

▼追いはぎが迫る。「身ぐるみ脱いで置いてまいれ」。仕方なしに脱ぐと「誠に殊勝である。寒い時でもある。襦袢(じゅばん)(肌着)だけは許してやるぞ」。「ありがとうございます」。「…なんて礼を言うが、よく考えてみれば、てめえ(自分)の物。気が動転しているからこういうことになる。襦袢(自慢)にならぬってえのはここからきた」

▼冷静に考えれば、これもやっぱり「てめえ」のカネではあるまいか。再来年四月の消費税率10%に引き上げ時に導入する軽減税率で与党が合意した。対象は食品全般。生鮮食品と加工食品は8%のままである。「ありがたい」とおっしゃるかもしれぬが、そもそも、10%への引き上げがなければ、礼なんぞ言うこともない話ではないか

▼財源は約一兆円。社会保障制度の維持、財政健全化のために10%引き上げが必要と言いながらのこの額である。引き上げ慎重派から見ても、政府と与党の対応は整合性に欠けており、その分、怪しげである

▼「参院選も近い時期である。食品全般は許してやるぞ」。「ははっ」では、襦袢にならぬ。


※ いつも言っていることですが、コラムの文章のうまさにはいつも感心させられます。

短い文章の中での起承転結。

オチのうまさ、ユーモア、社会観、いろいろなものが込められています。

まずはじっくりと堪能してください。

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