今朝は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・ アメリカの宇宙飛行士が撮った写真に、ロシア民謡の「黒い瞳」を連想した。国際宇宙ステーションから眺めた台風19号を朝日新聞デジタル版で見た。みっしり渦巻く雲の中心に、ぽっかり開いた「目」が写っている
▼宇宙からたくさん台風を見てきたが、こんなのはなかったと撮影者は述べている。暖かい海面から供給される湿った空気は台風の栄養にあたる。エネルギーを蓄えて猛烈に発達した最盛期の姿だ
▼最盛期を過ぎると目は大きくなる。輪郭がぼやけ、やがて黒い瞳は白く濁る。本土に来る頃にはそうした状態になるから、台風の目に入った地上の記録は、南の島で記されることが多いそうだ
▼「(家屋が)今にも壊倒せんとする響きに身安からず。かくして十時前には忽然(こつぜん)無風となり……日光さえこうこうと照り出したり」。これは大正2年の沖縄・波照間島(はてるまじま)での気象観測員の記録。20分後には阿鼻叫喚(あびきょうかん)の暴風雨が再び襲ってきたという。倉嶋厚さんの著書『日本の空をみつめて』からの受け売りである
▼沖縄を暴風域に巻き込んだ19号は、九州に近づいて列島縦断の気配を見せる。1週間前には18号、その前の週末には御嶽山の噴火と、招かざる地異と天変がたて続けだ
▼8月には広島で土砂災害があった。この16日には伊豆大島の土石流から1年が巡る。自然の営みの前に、涙で綴(つづ)る教訓の束ばかりが増えていく。連休に水を差された無念はおいて風雨への備えを確かにしたい。黒い瞳がぼやけてきても、油断はできない。
毎日新聞
・ 1964年10月の東京五輪開催期間中には中国初の核実験やソ連のフルシチョフ首相解任など国際的な大ニュースが相次いだ。大会中に名前が変わった国もある。開会式には英領北ローデシアの名で参加し、独立宣言の10時間後に閉会式を迎えたザンビアだ
▲アフリカの年といわれた60年以降、多くのアフリカ諸国が独立した。アルジェリア、カメルーン、マダガスカル、タンザニアなど独立したばかりの新興国にとって東京五輪は国際デビューの場でもあった
▲この年、海外旅行自由化や経済協力開発機構(OECD)加盟が実現し、英会話ブームも起きた。戦後日本の「国際化元年」という言い方もされる。日々動く世界に対する関心が高まったのは当然だろう
▲当時の文部省の肝いりで東京外国語大学に設置されたのがアジア・アフリカ言語文化研究所だ。文系では初めて全国の大学が共同利用できる研究所で、十分な文献や辞書もなかった民族や言語を対象にした。現在はレバノン、マレーシアにも拠点を置く
▲現場での調査活動を重視する伝統で、文化人類学の山口昌男(やまぐち・まさお)氏ら研究者を輩出した。一般の人も参加できる夏季言語研修も有名だ。日本ではここでしか学べない言語も多い。今年はタンザニアの一部で話されるチャガ・ロンボ語などを取り上げた
▲グローバル化で世界のつながりが拡大したように見えても「イスラム国」の登場一つで国際政治が揺らぐほど異文化理解は難しい。創立50年で三尾裕子(みお・ゆうこ)所長は「国際的研究拠点にふさわしい活動」を目標に掲げる。理系だけでなく、文系でも日本発の研究が世界をリードすることに期待したい。
日本経済新聞
・ 井之頭五郎――と聞いてピンとくる人はなかなかのドラマ好きだろう。テレビ東京系の深夜枠で先月まで4期にわたって放送された「孤独のグルメ」の主人公だ。仕事の合間に立ち寄った店で定食、カレー、回転ずし、などなどをただ食しては、あれこれ独り言を言う。
▼原作のマンガに忠実に、毎回それだけの話だがこの作品のファンは少なくない。焼肉屋で盛大にカルビをぱくついて「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」などと怪気炎をあげるのがなんともほほ笑ましいのだ。しばしば否定的に語られる「孤食」だが、見わたせばあの店この店にひとり飯を楽しむ五郎さんはいよう。
▼柳田国男は「明治大正史 世相篇」で、近代以降、およそ食物は温かく、柔らかく、甘くなり、共同の飲食が減って個々の嗜好を重んじるようになったと説いている。たしかに誰にも気兼ねなく、混み合う居酒屋で好きなものを飲み食いするという図はムラ社会にはなかっただろう。ひとり飯は近代的自由の象徴なり、だ。
▼もっとも昨今の大学生など、ランチ仲間がいない「ぼっち飯」をひどく恐れるらしい。ムラ社会への退行とは言わぬが、こんなところにも同調圧力にさらされる若者のすがたがあるのかもしれない。みんなでワイワイはもちろん愉快だが、ひとりもまた良し。井之頭五郎みたいなオトナに、そのへんの流儀を学ぶのもいい。
産経新聞
・ 東京オリンピックをはじめ、東海道新幹線、日本武道館と、このところ、「50年」の話題が相次いでいる。一部の野球ファンが待望している、こんな50年がらみのイベントをご存じだろうか。
▼昭和39年の日本シリーズ、阪神-南海戦は、3勝3敗で最終戦にもつれ込み、南海が日本一に輝いた。甲子園は興奮の渦に包まれるはずだったが、そうはならなかった。10月10日、こともあろうにオリンピックの開会式と重なってしまったのだ。観客数はわずか1万5172人、消化試合のような寂しさだったという。「史上最低の盛り上がりだったな。無理もないな。オリンピック、オリンピックだったもん」。当時南海の4番バッターだった野村克也さんは、こうぼやいたものだ。
▼実はそれ以来、関西の球団同士の日本シリーズは実現していない。つまり、阪神とオリックスがクライマックスシリーズを勝ち進めば、半世紀ぶりの「関西決戦」となるわけだ。
▼「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻の如(ごと)く也(なり)」。織田信長が桶狭間の戦いの前に舞った幸若舞(こうわかまい)の一節である。「人間80年」の高齢化社会となった現代でも、「50年に1度」といえば、人が一生のうちに初めて遭遇するぐらいの大きな出来事の意味で使われる。
中日新聞
・ 人類の祖先は木の上で生活していたが、ある時、草原に下り立って歩くようになった
▼両手が空いた。荷物を運べるようになった。ホモ・サピエンスとは「知恵のあるヒト」の意味だが、文化人類学者の川田順造さんによれば「ホモ・ポルターンス」(運ぶヒト)でもあり、運ぶという能力がヒトをヒトたらしめているという(『<運ぶヒト>の人類学』)
▼なるほど、身の回りのモノが運べれば、旅に出られる。アフリカ大陸から歩いて、ヒトは拡散していった。商品やカネ、サービスを「運び、届ける」ことは人類の経済活動そのものだろう
▼運ぶとは、自分の荷物を運ぶことばかりではなく、「誰か」に届けるという行為でもある。届けられることを待っている人がいる。その願いを理解し、一刻も早く届けたいと相手を考える。人類学とは離れるが、誰かを思う気持ちこそが、人を人たらしめている気がしてならぬ
▼御嶽山。灰のぬかるみに足を取られ、何度も転びながらも登山者の遺体を運んでいた自衛隊員たちの映像を見る。噴火から二週間が過ぎたが、なお七人の登山者の安否が分からぬ。悪天候や火山ガスと闘いながらの捜索。家族の元に帰してあげたい。その思いが捜索の糧なのか。頭が下がる
▼台風19号が迫る。雪の季節も近い。人間の運ぶという行為を阻む自然に対して、目こぼしを乞わずにはいられない。
※ 台風がらみが2社ありましたが、時のほか秀作が並んだ気がします。
個人的に評価するなら、まずは産経でしょう。
歴史的なものと現代を結びつけるのは、よほどの知識と視点がないとできません。
中日も素晴らしい。
同様に、人類の起源と台風を結びつけています。
いえいえ、他社も十分に素晴らしい。
こうして、短編の秀作文章を気軽に読むことができる新聞のコラムに、特別な文学賞をあげたい気持ちです。
朝日新聞
・ アメリカの宇宙飛行士が撮った写真に、ロシア民謡の「黒い瞳」を連想した。国際宇宙ステーションから眺めた台風19号を朝日新聞デジタル版で見た。みっしり渦巻く雲の中心に、ぽっかり開いた「目」が写っている
▼宇宙からたくさん台風を見てきたが、こんなのはなかったと撮影者は述べている。暖かい海面から供給される湿った空気は台風の栄養にあたる。エネルギーを蓄えて猛烈に発達した最盛期の姿だ
▼最盛期を過ぎると目は大きくなる。輪郭がぼやけ、やがて黒い瞳は白く濁る。本土に来る頃にはそうした状態になるから、台風の目に入った地上の記録は、南の島で記されることが多いそうだ
▼「(家屋が)今にも壊倒せんとする響きに身安からず。かくして十時前には忽然(こつぜん)無風となり……日光さえこうこうと照り出したり」。これは大正2年の沖縄・波照間島(はてるまじま)での気象観測員の記録。20分後には阿鼻叫喚(あびきょうかん)の暴風雨が再び襲ってきたという。倉嶋厚さんの著書『日本の空をみつめて』からの受け売りである
▼沖縄を暴風域に巻き込んだ19号は、九州に近づいて列島縦断の気配を見せる。1週間前には18号、その前の週末には御嶽山の噴火と、招かざる地異と天変がたて続けだ
▼8月には広島で土砂災害があった。この16日には伊豆大島の土石流から1年が巡る。自然の営みの前に、涙で綴(つづ)る教訓の束ばかりが増えていく。連休に水を差された無念はおいて風雨への備えを確かにしたい。黒い瞳がぼやけてきても、油断はできない。
毎日新聞
・ 1964年10月の東京五輪開催期間中には中国初の核実験やソ連のフルシチョフ首相解任など国際的な大ニュースが相次いだ。大会中に名前が変わった国もある。開会式には英領北ローデシアの名で参加し、独立宣言の10時間後に閉会式を迎えたザンビアだ
▲アフリカの年といわれた60年以降、多くのアフリカ諸国が独立した。アルジェリア、カメルーン、マダガスカル、タンザニアなど独立したばかりの新興国にとって東京五輪は国際デビューの場でもあった
▲この年、海外旅行自由化や経済協力開発機構(OECD)加盟が実現し、英会話ブームも起きた。戦後日本の「国際化元年」という言い方もされる。日々動く世界に対する関心が高まったのは当然だろう
▲当時の文部省の肝いりで東京外国語大学に設置されたのがアジア・アフリカ言語文化研究所だ。文系では初めて全国の大学が共同利用できる研究所で、十分な文献や辞書もなかった民族や言語を対象にした。現在はレバノン、マレーシアにも拠点を置く
▲現場での調査活動を重視する伝統で、文化人類学の山口昌男(やまぐち・まさお)氏ら研究者を輩出した。一般の人も参加できる夏季言語研修も有名だ。日本ではここでしか学べない言語も多い。今年はタンザニアの一部で話されるチャガ・ロンボ語などを取り上げた
▲グローバル化で世界のつながりが拡大したように見えても「イスラム国」の登場一つで国際政治が揺らぐほど異文化理解は難しい。創立50年で三尾裕子(みお・ゆうこ)所長は「国際的研究拠点にふさわしい活動」を目標に掲げる。理系だけでなく、文系でも日本発の研究が世界をリードすることに期待したい。
日本経済新聞
・ 井之頭五郎――と聞いてピンとくる人はなかなかのドラマ好きだろう。テレビ東京系の深夜枠で先月まで4期にわたって放送された「孤独のグルメ」の主人公だ。仕事の合間に立ち寄った店で定食、カレー、回転ずし、などなどをただ食しては、あれこれ独り言を言う。
▼原作のマンガに忠実に、毎回それだけの話だがこの作品のファンは少なくない。焼肉屋で盛大にカルビをぱくついて「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」などと怪気炎をあげるのがなんともほほ笑ましいのだ。しばしば否定的に語られる「孤食」だが、見わたせばあの店この店にひとり飯を楽しむ五郎さんはいよう。
▼柳田国男は「明治大正史 世相篇」で、近代以降、およそ食物は温かく、柔らかく、甘くなり、共同の飲食が減って個々の嗜好を重んじるようになったと説いている。たしかに誰にも気兼ねなく、混み合う居酒屋で好きなものを飲み食いするという図はムラ社会にはなかっただろう。ひとり飯は近代的自由の象徴なり、だ。
▼もっとも昨今の大学生など、ランチ仲間がいない「ぼっち飯」をひどく恐れるらしい。ムラ社会への退行とは言わぬが、こんなところにも同調圧力にさらされる若者のすがたがあるのかもしれない。みんなでワイワイはもちろん愉快だが、ひとりもまた良し。井之頭五郎みたいなオトナに、そのへんの流儀を学ぶのもいい。
産経新聞
・ 東京オリンピックをはじめ、東海道新幹線、日本武道館と、このところ、「50年」の話題が相次いでいる。一部の野球ファンが待望している、こんな50年がらみのイベントをご存じだろうか。
▼昭和39年の日本シリーズ、阪神-南海戦は、3勝3敗で最終戦にもつれ込み、南海が日本一に輝いた。甲子園は興奮の渦に包まれるはずだったが、そうはならなかった。10月10日、こともあろうにオリンピックの開会式と重なってしまったのだ。観客数はわずか1万5172人、消化試合のような寂しさだったという。「史上最低の盛り上がりだったな。無理もないな。オリンピック、オリンピックだったもん」。当時南海の4番バッターだった野村克也さんは、こうぼやいたものだ。
▼実はそれ以来、関西の球団同士の日本シリーズは実現していない。つまり、阪神とオリックスがクライマックスシリーズを勝ち進めば、半世紀ぶりの「関西決戦」となるわけだ。
▼「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻の如(ごと)く也(なり)」。織田信長が桶狭間の戦いの前に舞った幸若舞(こうわかまい)の一節である。「人間80年」の高齢化社会となった現代でも、「50年に1度」といえば、人が一生のうちに初めて遭遇するぐらいの大きな出来事の意味で使われる。
中日新聞
・ 人類の祖先は木の上で生活していたが、ある時、草原に下り立って歩くようになった
▼両手が空いた。荷物を運べるようになった。ホモ・サピエンスとは「知恵のあるヒト」の意味だが、文化人類学者の川田順造さんによれば「ホモ・ポルターンス」(運ぶヒト)でもあり、運ぶという能力がヒトをヒトたらしめているという(『<運ぶヒト>の人類学』)
▼なるほど、身の回りのモノが運べれば、旅に出られる。アフリカ大陸から歩いて、ヒトは拡散していった。商品やカネ、サービスを「運び、届ける」ことは人類の経済活動そのものだろう
▼運ぶとは、自分の荷物を運ぶことばかりではなく、「誰か」に届けるという行為でもある。届けられることを待っている人がいる。その願いを理解し、一刻も早く届けたいと相手を考える。人類学とは離れるが、誰かを思う気持ちこそが、人を人たらしめている気がしてならぬ
▼御嶽山。灰のぬかるみに足を取られ、何度も転びながらも登山者の遺体を運んでいた自衛隊員たちの映像を見る。噴火から二週間が過ぎたが、なお七人の登山者の安否が分からぬ。悪天候や火山ガスと闘いながらの捜索。家族の元に帰してあげたい。その思いが捜索の糧なのか。頭が下がる
▼台風19号が迫る。雪の季節も近い。人間の運ぶという行為を阻む自然に対して、目こぼしを乞わずにはいられない。
※ 台風がらみが2社ありましたが、時のほか秀作が並んだ気がします。
個人的に評価するなら、まずは産経でしょう。
歴史的なものと現代を結びつけるのは、よほどの知識と視点がないとできません。
中日も素晴らしい。
同様に、人類の起源と台風を結びつけています。
いえいえ、他社も十分に素晴らしい。
こうして、短編の秀作文章を気軽に読むことができる新聞のコラムに、特別な文学賞をあげたい気持ちです。