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一休さん

2012-08-29 06:04:11 | 社会科こぼれ話
今日は、歴史の誤解シリーズ。

 歴史上の人物で、実物と最もイメージが違うと思われる人は誰でしょうか?

 数人に聞いてみたところ、坂本龍馬の子ども時代とか、モーツァルト、ナポレオンという意見をいただきましたが、他を離してトップに輝いたのは(といっても3票ですが)一休さんでした。

 私も同感です。

 何と言っても、昔から伝わるとんち話と、中国やタイ、ハワイなどでも見られているあのアニメが一休さんのイメージを作り上げました。

 特に中国へ行った時は、子どもたちは誰でも一休さんを知っており、その主題歌を歌えることに驚きました。もちろん中国語でしたが…。

 実際の一休さんは、どんな人物だったのでしょうか?


 モデルは一休宗純という、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧です。

 京都の生まれで、一説には後小松天皇の落胤といわれ、宮内庁もその説を採用して、一休の墓は宮内庁が管理しています。

 後小松天皇といえば、南北朝が合一した時の北朝の天皇です。

 アニメでは、一休のお母さんは南朝の人になっていましたが、実際はどうだったのでしょう?
 母は藤原氏、南朝の高官の血筋であるという記録もあります。

 幼名は、周建。22歳で大徳寺に入り一休の名をもらいます。
 しかしその5年後、悟りを開き寺を出て、以後は詩・狂歌・書画と風狂の生活を送りました。

 風狂とは、禅宗において重要視される戒律などから逸した行動を、本来は破戒と言われるべきものを、悟りの境涯を現したものとして評価した言葉です。
 七福神の布袋、「寒山拾得」で有名な寒山も風狂僧の一人です。

 それでは、どんな破戒、いや風狂生活だったのでしょう?

 寺に入らず飲酒、肉食や女犯を行い、正月には小汚い格好で髑髏をもってまわったのは有名な話です。
 仏像を枕に寝たり、由緒ある文書を役に立たないと燃やしたりもしたそうです。

 これらは、戦乱や飢餓で苦しむ民衆を救うことなく、私利私欲に走る当時の仏教界を批判した行動なのでしょう。

 実際に、大徳寺などを再興したり、天皇に進言、乱世をもたらした幕府を批判し、民衆と親しくするなど、偉人であり、東山文化を代表する才人でした。器の大きな人物でした。

 88歳で自ら再興した酬恩庵(写真右)に没しました。

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