にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

できなかったおさづけ

2023年07月27日 19時42分19秒 | おさづけ
友人のおたすけにと彼女の家に行かせていただいた。
少々の緊張の中、玄関でみた友人は変わりなかった。

頭の後ろはまだ痛いけど、と近況の話を少しした。
今年の2月に物置の階段から転がり落ちた、そして
倒れているところを主人がみつけて、母屋に運んでくれた。
まさか病院には行ったでしょうけど、、、倒れている時点で
救急車をよばない?動かさないほうがいいって聞くし。

で、おさづけをしてもいいってことだったので
始めようとしたら、電話。近所に住む妹からだった。
一緒にお昼をというお誘い。ここに来るらしい。
玄関上がってすぐのところだったけど、
10分はかかるだろうと私は思っていたので、まだやれると思った。

すぐに終わるからと始めさせていただいたが、」
気がつくと拒否をしてきた。私の手を振り払おうとしてきた。
妹が来るから『やめて!』という。
『妹はすぐに来るから』
「すぐに終わるから大丈夫」
『やめて!』妹に見られたくないんだって。

ある布教師の方は、駅のホームでおさづけを取り付いていたけど
終わってみたら本人はどっかいっちゃってされもいなかったと聞く。
いなくなったことを知っていてもやめなかったのか、
気がつかなかったのかしらないけど、私は続けることができなくなった。

靴を履きながら言う。
「お見舞いに来てくれたんだよって妹に言えばいいんだよ」
いいながら、自分でほんとにそうだと思った。
何故、そんな事が言えないんだろう、、、
いつまで妹が怖いんだ、、、、分からなくは無いけど
目の前にいる私のことよりも妹ごときに振り回されている
友人の人生ってかわいそうだ。私にも妹があるので
その関係性はわかんなくもないけど、しょせん妹だもん。



私と似ている部分がある友人だけどお道のおかげ様で、
私は違う方向を目指せるようになった。
自分自身の身上があると、どうしても人よりも弱い立場に
なってしまうような気がするんだろうな。高慢とも言う。
高慢だと知っている私はいい。


『またランチへ連れて行ってね』と友人が言ったけど、
「その前に頭が治らないと・・・・」
この先、友人とどう付き合っていくのか考え中。

何事も無かったかのようにおさづけにといけるのか。


以上、報告でした。


歩かないことには始まらない

2023年07月08日 18時54分54秒 | おさづけ
おさづけのお相手なんて
どこにでもいると思うんだ。
みつけようとしなくても
向こうからやってくることだってある。
それはこちらがいつも「何とか」と思っていないと
腕をすり抜けて行ってしまう。


空気を掻くように歩いていても
全然聞いてもいただけないことがほとんど。
タイミングが大事で、そこは神様なんでしょうか。
タイミングこそが神様のさじ加減。
そんなふうに思わせて頂いている。

夢の中でも

2023年06月27日 04時27分33秒 | おさづけ
4時半。目が覚めて、こ一時間たつ。
窓を開けると、夜が明けていない外気が涼しい。

(夜が明けるってどういう状態なんだろう・・・)

今日も蒸し暑い日になるようなことを予報で言ってたけど、
早朝のこの涼しい空気は大好物!!

昨日はおさづけ担当日だった。
数日前から緊張しっぱなしだったことは、
数日前にみた夢の内容から分かります。

なかなかおさづけの相手に出会えなくって
日が暮れてきて、ここはどこだろう、どっち方向に帰れば
いいのか、どうやって帰ればいいのかも分からない。
途方にくれていると急に、
「まだ今日じゃなかったーーーー」と気がついて心底ほっとした
夢を見た。


10日近く、左ひざの調子が悪くって正座もきびしい
状態だったので、このままマシにならないと
困るので朝一で近所の整形外科に行こうと思った。
でも10時からの12下り総立ちを優先して、
受付まで済ませたにも関わらず、15分で飛び出した。

12下りのあと、にをいがけに向かった。
結局はほとんど歩き回らずにおさづけの相手に
会わせていただきました。神様だと感謝でした。
蒸し暑い日だったので本人さん、汗がすごくって、、、、
水分の準備も無いというので、マズイ状況。
こういうときに限って、水筒を車に置いてきてしまった。

「なんとかおさづけを!!」と歩きながらタイミングを計ってた。
自宅に帰る途中で道の端で涼しい場所を探して
両足を片方ずつ取り次がせて頂くことができました。

更にかしものかりものの理話しにも耳を傾けていただけた。
暑い中、恐縮ではありましたが、、、、、

久しぶりの外歩きで一時間歩いているというので、
汗もすごかったし熱中症レベルに感じた。心配だった。
『タクシーこっち側を走らないね・・・』の言い出したので、
「私、戻って車を取りに行ってくるから待っててください!」と
車を置かせてもらっている施設の駐車場までなんとか走った。

その女性は足が痛いので超ゆっくりの歩調。
家までかなりの時間が予想できた。送って行って良かった!!
実は分かれてから、一瞬吐き気がした。
「熱中症ってわけじゃないよなー」と頭をよぎったけど
どうやら空腹から来るものだったようだ、、、よかった。

当初の目的の場所まで行ってなかったので、
続きを歩きたかったのだけど、同じ駐車場に戻ることができなかった。
気が引けた、、、、他の場所を探したけど分からないので
買い物して帰宅して、後日歩くことにしてしまった・・・
まだ1時半とかだったので自分に甘いことを自覚しながら。



このごろは日暮れが遅い。
うっかりすると帰宅が遅れ、夕飯作りが遅くなって
帰ってから自分も忙しくなってしまい、主人も待たせて
しまうことがあるから、ちゃんと時間を見て動くようにしだした。


夢の中でもにをいがかからない。
人をお連れ出来ていない人を演じている自分。
そういう役回りなんでしょうかね。


5時17分。
ご飯が炊けたので、さきに食べちゃおう。
早起きしたので夏の日の夕方の暗さに似た時間を過ごせました。



交番に行った

2023年02月19日 18時28分10秒 | おさづけ
午前中はお琴の練習をしました。
30分だけど、今日ほどくりかえし
練習できたことは無かったので感激でした。

ちょっとだけ、お琴に慣れてきたんでしょうか。
いつか神床でお琴を弾いてみたいです。目標です。


2時くらいからにをいがけに。家から行きやすいので
最近、再び足が向くようになった高麗川地区。
戸別で家を回っていたら、裏通りに実家の母親に似ている
女の人が大変そうに立ってました。誰かを待っているふう。


どこへ行くのかと聞くと、駅のほうだという。
どこもお悪いところはないとのことなので、
「明日も元気で通れますようにと神様にお願いさせてください」
『いいのかしら。今?』
てことで、おさづけを受けていただけました。
あとで思ったら、もっとしっかりと頭を集中的にやらせて
いただけば良かったかなとちょっと思いました。
かなり痴呆がすすんでいるお母さんでした。

「今日はどこから来たんですか?」の問に
『一本松』
「一本松のどのあたり?」には、『駅のすぐ前』とおっしゃった。
私のことじゃないかーーーと。

ここまでどうやってきたのかと聞くと、電車だって。
それはない!!まっしろなふわふわのフリースを着て
このあたりの人じゃないかなと思ったんだけど、
言い方がしっかりしてて、言い切るのでこっちも
「そうなんだ、、」となる。携帯もなく、手に持っている
スーパーの袋には靴磨きブラシと革靴だけ。

娘さんが車で迎えに来るというので、私もしばらく
一緒にいましたが、このまま置いて帰れない。
目の前の家のご主人も、見たことない人だって言っていた。
交番が駅前にあるとのこと。交番に連れて行くのって

薄情みたいだけど、名前と年以外はなにも分からないので、
交番で相談するのが一番妥当だと思い、決心してお連れした。

しっかし、交番ってこっちの名前やら
身分証明書を見せろって言われるし、ほんとに苦手。
悲しい思い出しかないからさ。

けど、最後にもうひとりの警察官が私にお礼を言って
くれたときはちょっと救われました。
すっかり忘れていたけど、これもおたすけなのだよね?
「どうか無事に家を探してあげてください」とお願いしました。

うなずく警官。

教会に電話で報告してから帰りました。一回、こういうとき

どうしたらいいのか電話で相談してましたので。

一本松から来たって聞いたときには、神様を感じてしまった。
お金も持ってないし、高麗川駅は八高線なので乗りかえが面倒。
おさづけは、あの方の魂に取り次がせていただいたんだ。
魂はボケてない。キレイなんだと思った。

私は時々気持ちが不安定になり、孤独で寂しかったり、
いつまで経ってもひとりだし気持ちをどう納めたらいいのか、
どこへ向かったらいいのか苦しいときがある。
私の心をあのお母さんは見せて下さったんだね。
ありがとうございます。
なんとか歩いてさえいたら、
おやさまのお供をさせていただけているんだと思う。

たすけたつもりがたすけられ

2023年01月18日 19時33分05秒 | おさづけ
おさづけのお取次ぎは教会の拝殿で。

拝殿にいたら、腰が痛そうな動きの教友がいたので
近くの人に聞いたら、やはり身上をいただいてる
とのことだった。私からお声をかけさせてもらった。

神様はそのように見せてくださる。私も気にかけている
のだけど、今までだったら身上者が教会にいても
「そうなんだ、、、」で終わらせていたところ。

誰かやってくれているんでしょう、と思ったり。

また私が身上でぎこちない動きをしてても、
「おさづけさせてください」とか誰もいって
くれないと思うよ。そんな感じでなかなか

思っているほど行動に出来ないものです。


今日はその彼女に声をかけさせてもらって
何とかの思いで取り次がせていただいた。本当に
ありがたかった。午前中からの行事が一つ終わって
みなさん拝殿後ろの部屋でお茶をいただいている時間だったけど、
構わず拝殿前のほうで。

おさづけを、と思うと相手のことを聞かなきゃいけない。
どんな身上とかいつからとか、どうしてこの身上を
いただいたのかとか心調べをする必要があるので、
ぐんと相手に近づいていく。これがいいと思ってます。




三年千日一年目の心定めが始まってから、また去年の
”道の路銀”を観てから、意識がガラッと変わってしまった。
毎日のようにお相手を示してくださるものの、お取次ぎできるか
分からないし、させて頂けるとか分からないのだけど。
私が気がつくように教えてくださっている。

にをいがけ中だけではなく、教会にいても買い物をしてても
家にいても頭から離れないかもしれない。
苦しいようだけど、なんだか嬉しいのも正直なところだ。


まだまだ追いつかないけど、慌てずに丁寧にやらせていただこう。



気のせいかな。
今日は昼間はずっと右の肩がこって重かったのに
ぐるぐると回していたのにいつの間にか気がつけば
コリがなくなって軽くなっていた。