にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

ライブ感のある勢いで

2012年12月11日 20時18分58秒 | にをいがけ・おたすけ

上級教会の月次祭に参拝。

お話の先生は、大教会役員さんでした。
私、前から3番目あたりに座ってまして、しかも正面。
先生のちょいと斜め前の位置に陣取ることになってしまい、、、、

最高に楽しませていただけました。これって、ライブだって思った。
拝殿がひとつになっていて先生もさぞかし気持ちよくお話をすることが、
できたのではないかと思わせていただきます。
面白いことを言ってうけようという計算はなくて、たぶん性格なのでしょう。
何を言っても、間の取り方がうまいから聞いているほうは、素直に笑える。

 

印象的だったのは、。。。

先々代か先々代の方からよく聞かせていただいたというお話で、
《今の大教会は「結構」だけど、「結構」がいいんじゃないんだよ。
「結構」の裏には言うに言えないものがあるんだよ。
「結構」なことの裏側にある”元一日”を忘れちゃダメなんだよ。》です。

 

本当にそうだな。
目に見えるものだけが全てではなく、
私たちは、見えない裏側も感じさせてもらう努力をしないと、
なかなか相手は心開いて下さらないのかもしれないな。
相手の目線になって相手のことを真剣に悩んで一緒に方向づけを
考えていくことが大事だよなぁぁ

・・・・・・そんなことをあれこれ思案しました。
私みたいにただ思うことは容易いですが、、、、

 

今回はポイント10倍(100倍だったかな?)デーのお話はしませんでしたけど、
年祭はいつもの頑張りに対して、ポイントが一個ではなく10倍にしてつけてくださる
そんな旬なのだということを10年前の教祖120年祭の三年千日のときに
お話して下さったような記憶があります。
10倍どころではないんでしょうね、きっと。

ありえないようなことを見せていただける時旬が、たすかる旬がやってきますよー。

ありがとうございました。

 


よろこび上手

2012年12月11日 08時28分28秒 | にをいがけ・おたすけ

ひのきしんなどあり、2時過ぎににをいがけけ出たので、
あてもなく東へ移動して、某スーパーへ車を止め、目の前にある団地。

なぜか1階建てと5階建てがそれぞれ一棟づつあったので、
5階建ての方だけを回らせていただくことにした。汚な目のあちこちでした。

そこの一棟は20戸分入ってました。結論からいうと、20戸のなかに
同じ宗教信仰者が3人もいました。
一人目の小柄のかわいいおばあちゃん。助けていただいた喜びに満ちておりました。

『悩み事があったけど、お友達に相談して某宗教を紹介してもらって、
脳梗塞やったけど軽く済んで、今は幸せです。〇〇様のおかげさま。』

そのような感じのことを全身で表現し、私に伝えてくれた。
笑顔のお顔はあまりシワもシミもあまり見られなかったです。

 

2人目の男性は、お道をものすごく批判してきた。
『知り合いにやっていた家族がいたけど、すべてなくして一家崩壊。
天理教をやっていると滅亡する!』
ここまで強く言われたことはあまりなくて、ちょっとムッときました。(`Δ´)!

「天理教の人はほかの宗教を批判したりしませんよ」と、言わせてもらいながら
ドアは閉められた。さっきのおばあちゃんとはえらい違いだな・・・

 

3人目の方は、最初のおばあちゃんと短気のおじさんをお助けした方だった。
お道でいう”手引き親”とお手引きの人の関係でした。一棟の団地に、
3人もいるってことでもびっくりしたけど、親子関係にあったとは私は、
神様に見せられている!!そう思っても不思議はないっしょ。
手引き親の方は、オーラのある方でした。
お道もそうだけど、教えではなくて人についてくるんですものね、人って。
私は全然そうはなれなくて、いつまで経ってもなれなくて、、、、、
なれる日があるのかもわからない現実。

 

それより、もっと喜ばなくっちゃって思いました。
私もそうだし、みんなも助かった喜びをもっと体中で表現してもいいよね。
言葉でもなかなか気持ちを込めて言えてないと思う。

私は勘違いしてました。
自分は助かった感がイマイチ感じれていなかったんだけど、、
それは主人の反対の中を金銭的にも我慢しながら、
細かなことを言われながら通ってることを他の人達と比べてしまい、
自分は大変だという悲壮感がけっこう強かったのね。
実際はわからないけど、
楽に通っているように見えてしまう人が多くて、、、、見えるんだから仕方がない。

 

けど、主人の反対があるからって、助かっていないことではないってこと。

全部がクリアできていなくても、いいんだってこと。夫婦の信仰になることは、
ひとつの目標ではあるけど、「反対」と「助かっていること」とは別の話なんですね。
もっと助かった喜びを相手に伝えながら、にをいがけおたすけに歩けたらいいな。