にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

来年は飛躍の年ってことだ

2013年12月27日 19時51分47秒 | 他のおみち話

今日も

「今年はありがとう!」

「来年もよろしくおねがいシマース」

をさせてもらってきました。

 

 

 

教友が、このごろ更年期っぽいって言ってまして

元気が出ないって言ってまして

自分ひとりくらいいなくても、
誰も困らないんじゃないかって思う、という。

 

 

んん、、私は更年期はあまり自覚症状がなくなったけど
それでも、教友が思ってしまうようなことは
定期的に考えてしまう。

ここ数年はほとんど思わなくなったけど、
御用で帰りが遅くなってしまい、
日の暮れが早い時期なんかとくに、
家には主人やまだ小さい子供たちが
私の帰りを待っているような、、
晩御飯を作る人の帰りを持っているような、、

主人になんて言い訳しようかとか、考えるのが
面倒になって、家に帰りたくない状況。
家に帰らずに、このままどこかへ行ってしまいたくなるような状況。

主人が面倒になるなんて奥さん失格だけど
子供たちがまだ小さい時とかずっとだけど、
家の中にはお道の信仰者が自分ひとりだけで、
怒られながら通っていたので、そういう状態れが長いから
しんどくなって辛くなってしまって、
お道をやめたくなったものだ。

だから、長男が高校生になって、
だんだんにお道を求めてくれなかったら
私はとっくにお道から離れていたでしょう。

やっとこさ、つながっているような自分なんで。
毎日のように、教会内の自分の存在価値のようなことを
深刻に考えてしまうのだよ。実は今も思っていたところ。

でもね、でも、きっと
《yoshiさんが用がないと思っても、神様のほうがyoshiさんに用があるのよ》
と初参拝からまもなく、拝殿先生に言っていただいたように、
親神様おやさまは私に用があると思って下さっている。
そう自分に言い聞かせている。まあ、教会は”たすけ場所”なので
居場所なんてなくていいんだと思うけど。

こんなのもいるんだから、教友にはなんとか踏ん張って
今を乗り越えていただきたいものです。時期が来るまで
上手に自分をコントロールしてみて。
・・・時には人に助けてもらいながら。