にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

こどもの日だから思案できた

2018年05月05日 16時47分23秒 | 意識改革

過去のこどもの日の記事を探してみたけど
記事にしていないようだ。日記には書いていると思う。
そんなのいつものことなんだけど、、

5月ってにをいがけにあまり勤しんでいなかったのか
勤しんでいたから、ブログに書く元気がなかったのか。
それは考えられる、、、私の性格だと。。雑なので。

 

今日も歩けていない。午前中は教会に参拝して
会活動の用事をちょっとさせてもらって、、、
2回出たり入ったりした。

oyomeちゃんはおたすけの方のことをやっていた。
長男もいた。私の尊敬する先生の拝殿で
お話をしてもらっていたので、あとで聞いてみよう。

 



こどもの日だけど、長女はお仕事。
次男はさっきやってきて、友達とお釈迦様に行くという。
これは恒例の次男の行事となっててもうずっと続いている。
友達は変わっているのかもしれないけどね。
次男のことなんで、もしかしたら同じ旧友かもしれない。
そういう子だから、、、、

再び修養科のお声を拝殿でちょっとだけかけて頂く。昨日。

まだ私はその気になっていない。
情なんでしょうが、やっと今の生活を努力をして
築いている次男なので、
簡単に環境を変えられないだろうと。

 

そうか、、、、、神様に働いていただくってことは
ガッチガチに毎日何時間もにをいがけに歩きまわって
子供にも毎日のように押せ押せの話をして
ぐいぐい押し込んでいくことではないんだな。
分かっているさ。分かっているけど簡単じゃないことでしょ、
修養科生を出すと言うことは。
めっちゃくちゃ大変なエネルギーを集約しないとだし
生半可な気持ちでは出せないのが修養科。
本人も回りも。


でも子供にお声をかけて、それなりに話をして、
とはこちら側の裏づけ。その先は神様。
文章にすると簡単なものだ。

 

理さえ積んであったら簡単なことなのか。

にちにちの理作りさえしっかりしてあったら、、、
働いてくださることなのかなと。
そういう世界なんだってことも分かってますよ。
信仰24年も経てば、そりゃそういう世界だって
ことも分かります。でも、分かっていない。

それななぜか。

分かっていない気持ちがあるのは自分が神様を
信じていないから。おやさまを信じていないから。
神様に働いて頂きたいと思いながら、
信じきれていないんだろうなーーーー自分は。
「信じたい」と『信じている」は別物ですからね。

 

歩いていないときも、
歩いていないなりに
いろんなこと振り返れますわ。

まさしくこどもの日だから。