にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

初参拝の日から丸25年

2018年05月19日 18時43分45秒 | 他のおみち話

25年前の今日、初参拝だった。
初参拝という言葉がなんとなく時報でも目にするように
なって来ましたけど、つい最近のことですね。

上級教会では、また所属教会でも私がお道についたときには
すでに『初参拝、初席、修養科』がキーワードのように
なっていて、これを目標に皆さんがにをいがけおたすけに
頑張られていました。

ちょっとして、発信元は上級の会長様でしょうか。

数年前からはここに『丹精』が加わりました。上級の会長様が
加えたのかと思います。『丹精』がなかったら人は
育ちませんからね。親の気の長いご丹精のおかげ様で
一人ひとりがにをいがけおたすけのできるようぼくに
ならせて頂いているんですよね。

 

 


私も25年間、、長いですよ25年って。
自分で褒めたい。よくつながってきたねって。
切れないで、、、頑張ってきたねって。

理の親のおかげさまでもあり、教友の励ましでもあり。
私は一番にはにをいがけおたすけで
出会わせていただいてきた一人ひとりのおかげさまだなって。
いつもいつも思っています。
人として今の自分はにをいがけおたすけで作られている。
と!!!感じています!!

 



苦しいこととかもあるので、そんなときは、
「いつまでこの状態が続くんだろう」と思うこともある。

教友にも最近聞かれた。『そう思うことない?』と。
「あるよーーーーーー」と思いを共有できました。笑
それでいいんですよ。。それだけでまた踏ん張れます。
こういう思いってのは、夫婦の信仰の方でも共有したいのは
同じ婦人会の教友なのかな。女同士だから分かることが多い。


理の親には気持ちはラインで。。と口上で。
初めてですかね。。。「今日初参拝の日なんだよ」と教会で
話して、拝殿でみなさんに拍手してもらったのは。
いつもだったら自分だけでかみ締めて、せめて御礼に
意味を持たせて歩かせていただこうと一日を通る感じ
なんですよ。

19日という日で手引き親のなんとか一人という思いを
ちょっと感じさせていただくことが出来る。これだけは感謝です。
19日は一ヶ月間の最後のひとしぼりの日と聞かせていただきます。


今日は25年をかみ締めて、歩かせていただきました。
風がまだ吹いています。風といえば、、、、すぐに出てこない。
神様の名前。息吹き分けだから、、、、風の守護の理は、、、、

ごめんなさーーーーい!!!

ありがとうございましたー。

もしかして、今日の風が私へのメッセージだったりして。