教友に、私の拝殿は無色透明だって言っていただいた。
何か特徴があるわけでもないし
相手が心を使って怒って帰ってしまったとか
あったわけじゃないし、
当たり障りのない話しかしていないんじゃないかな、と。
そんなようなことをさらりと聞いた。
その教友は私の拝殿を知らない。道専務の方だから。
誰かが言っていたようなことをまた聞きをしたらしい。
私の拝殿であまり面白いことは耳に入ってこないという。
別に教友にすべての拝殿の情報が入ってくるなんてことは
まったくなくって、、私は教友の話を鵜呑みにして
いるわけでもないけど、無視をしてもいない。
心に留めておいている、いつもいつも。
よく言いにくいことを言ってくれたなって思う。
拝殿奉仕の御用は苦手だって知っているくせに
そういうことを私の耳に入れてくる。
「無色透明だってやんなくちゃならないんだよ。
自分ではそんなにおとなしい拝殿をやっているとは思ってないよ。
言いたいことは言い方を考えて相手が心を使わないように
言わせてもらってます。そんなに良い話しもできないし、
感動するようなことも言えないけどやるしかないと思う。(親の思いだから)
なかなか言えないような胸の奥に沈めてある何かを引き出してあげて、
何か一つでも納めて帰ってほしいと思っているだけだから。」と私。
『そんなことを思って拝殿をしたことがないから分からない』と教友。
あああああ、、、拝殿奉仕の御用は奥深い。
いつまで経っても慣れないし、怖くもある御用です。
だって理作りと浮かばせて頂かなかったら
相手の心に響くような言葉が出てこないから。
そっか。多菊先生は、なかなか喜べなかったら
愉しめばいいとおっしゃって下さったよね。
なんとか愉しみたい。