にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

交番に行ったことありますか

2018年12月02日 22時28分50秒 | 他のおみち話

交番って片道切符の代金(250円)も
貸してくれないのですね。

不審者に見えたのかしら。

身分証明のために免許証もみせた。
事情も説明した。

『交番はお金を貸すところではないのでね』

分かっていますよ。

交番に駆け込んだ私が甘かった。

心をもっと低くして庶民と接していただきたいなって
わずかな希望を持ってしまいました。
すごい威圧感、、、半端なかった!!!

 

一番悔しい出来事でした。



 

 


片道切符

2018年12月02日 19時08分31秒 | にをいがけ・おたすけ

29日の300円片道切符でのにをいがけのことを
少しだけ記録しとこう。

同士(教友)が3人が同じ電車に乗って別々の駅に降り立ち、
にをいがけおたすけをさせていただきます。
財布には行きの電車賃だけ入ってました。電車に乗ったときは
小銭入れは空っぽ。すっきり。財布はバックの底にしまいこんだ。


私は上福岡駅で下車。何度かにをいがけに来させてもらっている。
東口に向かったら、ビルばかり。店舗ばっかり。住居がない。
一戸建てやアパートはどこにあるのか。。

西口に行けば良かったかな、、、とすぐに後悔したんだけど
まだ時間はあるのだから、もっと歩いてみようって。
だんだんと家が現れてきたので嬉しかった。

人がいない。新しい家もそうじゃない家もいない。
路上でお声かけしたり家に入ったり団地に上がったり。

 

なんとかおたすけの上からいただいた理を帰りの切符にする。
そんなことできるのか、、できないかもしれない。
出来ないほうが近い。
理の親が出来たからといって同じことをして
同じになるわけがないと思いながらもさせていただきたくなった。

 

なぜ、そんなことをやってみようと思ったのか。

今年の反省お詫びと御礼と来年へのお願いをこめて。
胸において歩かせていただこうと。一度でもいいから
理の親の言って下さった声をきいて、
やってみようって覚悟を決めて実行した。
最初のひとりになってもいいじゃないかと。



帰れるのか、、、、不安だった。でも楽しみでもあった。
期待もあったし緊張もあった。
神様は自分に何を見せてくださるのか、、、、きっと
見せてくださるに違いない。それを探しながら
一軒一軒一人ひとりに丁寧に布教のようなことを
させていただきたい。


歩いて帰れる距離ではなくまた主婦なので家族をそっちのけと
言うわけには行かないから夕方4時までをタイムリミットにして
帰れるように頑張らせていただこうと3人で決めていた。

 

3時間歩き回らせていただいたけど
身上の方にはほとんど会わなかった。戸別をしていれば
街で声をかけたほうがいいんじゃないか。
街を歩いていれば戸別のほうが身上の方にあえるのでは
ないのかなと葛藤でした。こんなんでいいのかな。

 

団地を回っているとき、年配のようぼくと会いました。
女性でした。どこか身上のようで、、ぜひおさづけをと
お願いしましたけど、お断りされました。
ドアを開けてもくれなくって、、面倒のようで、、何度も
お願いしたんですが私では理がないのかダメでした。

その時点で何とかと思って来ていたので、
勢いが止まらなくって、ドアの前で苗字とこのあたりの住所だけで
おさづけをお取り次がせていただいたよ。
身上の場所が分からなかったので、背中からお取り次ぐ気持ちで。。
そのほうが顔は向こうを見ていることになるので、
顔が分からなくってもいいのかなって勝手に思って。

目を閉じて集中していたので、まるで電信柱にでも
取り次いでいるのと変わらないような気持ちになってきて
それでも「良かった」と嬉しかったのを覚えてます。

 



新河岸駅に交番があるのを知っていたので
そこまで歩いていって、そこでお願いしようと思い立った。
残りの2時間をかけて、新河岸駅に向かうことにしました。

新河岸までは駅は一駅だけど、道は分からないから
人に聞きながら、ちらちら見える線路の場所を確認しながらの移動。

途中、そそられる地形の住宅地に遭遇した。どんな方々が住んでいるのかインターホンを押してみたいと言う衝動にかられたけど、先も急いでいた。もし、理をいただけなかったら交番へ行かなくてはならない。交番で貸してくれるとも限らない。そのときはどうしたらいいのか。
そんなことを思案するのも人間だよね。わが身思案だよね。思いっきり先案じだった。

 

道を聞いても、『新河岸駅より上福岡のほうが近いですよ』と
言ってくださって、「上福岡から来たので新河岸から電車に乗りたいんです」
こんな会話を数人の方と交わした。

このときはまだ、誰かお金を貸してくださいって気持ちには
なっていなかったけど交番でお断りされたときは、この心境に至りました。でも誰にも言えなかった。言えなかった。
一人だけ言えそうな方に路上で会ったのだけど、、、、それは交番へ行く前に
お声かけをした方だったので、聞けていなかったな。。

 

お金がないから飲み物は700mlくらいだったコンビ二サイズの麦茶。
重かったけど頑張ってバックに詰めたのに、、、ほとんど飲まなかった。喉が渇かなかった。お腹もほとんど5時間空かなかった。家にあった食べかけの甘栗むき身を何個か歩きながら口に入れたり、飴をなめたりはしたがそれは空腹だからではなく精神安定剤のようなものだったのかも。自分はここにいる。歩いているんだ。こういうことをさせていただいているんだ。確認できた気がした。


 

交番で断られたあとは次男に電話したんだけどまったく出てくれなかった。歩いて川越まで行くしかないなって思った。川越まで行けば何か事態が変わるかもしれないって思ったし、いつまでも個々に留まってもいられなかったから。
歩き出したら、同士の一人からラインが来た。川越駅から歩いて帰っている方だ。
『大丈夫ですか?帰れそうですか』」と。

「交番では貸してくれないって」と返事した。
『えーー!!』というスタンプが帰ってきた。
(ふじみ野駅で歩いていた教友に言って)
『新河岸で拾ってもらえばいいじゃないですか』ときた。

ふじみ野駅の教友は、もしものときのために娘さんに切符代を
運んでもらえる手はずをしていたからだ。私までそれをしてもいいのかなって少し迷ったけど、ここで突っぱねたらいつになるか分からない帰りで、みんなに心配をかけてしまうなって思って、それは違うだろうと。。お言葉に甘えることにしました。


ちょうどふじみ野の教友は急行に乗るところだった。
各駅停車の次のに乗ってくれることとなった。ちょうどいい感じにつながってくれたんでした。どこも無理をしていない。


川越駅でおりた教友は無事に家に着いたとのこと。
おさづけをさせていただけたとのことでした。
私とふじみ野の教友はとぼとぼと無事に教会へ戻ったときには、とっぷりと日が暮れてました。
2人して拝殿で理をいただくことができました。理の親がとても心配をされてしまったと聞きました。新河岸から電車で帰ってきてよかったなって思いましたねー。
拝殿では厳しいことも言われたけど、私の中に残っている言葉は、
色んな人が色んなことを言うかもしれないけど、歩いた人にしか分からないんだよねって。
そう、歩いた人だけにしか分からない何かをおやさまは下さっていたんだよね。それが悟りなのかもしれないな。それはその人だけのものだから。
私も頂いたよ。確認できました。誰にも文句言わせない自分だけのもの。
私は5時間歩きどおしたのにもかかわらず、足取りも軽く元気に歩けていたのも、実はおやさまのお計らいだと思わせてもらっています。
毎日の生活の中でも足が重かったり、ちょっと張ったり痛かったりの自分だもの。
こんなとこにもおやさまですよね。

 

機会があったら、新河岸駅から川越までの道のりを歩いてみたい。にをいがけをしながら、今度は片道切符じゃなくて、しっかり帰りの分もバックに入れてね。

 

 

更新してから細かい部分を直しそうな気がします。
ここまで読んでくださってありがとうございました。