午後から久しぶりに日高市へにをいがけに。。
2時近かったかな、今からどこへ行かせていただいたら
勇めるのかなって思って思い浮かんだのがかって頑張って歩いた地が浮かんだ。
一人の方に運んでつないでおさづけも何度もお取次ぎをさせていただいた。
なんとか一度でも教会の門をくぐっていただきたいと何度もお声をかけました。
だんだんと『この方は運んでくれないのだな』と諦めてくる。
身体的に教会に行ける勇気が出ない方でした。
それでも私のことは待っていてくれている様子だった。
待っていてくれる以上は、運んでつないでいこうって
自分の中で納めていました。
だんだんと運ばなくなってしまいながらも、
どうしているかなって気になってました。
「今日は行かせてもらおう」と思うときがあって懐かしい家の前に立った。
自転車がない。乗っていなさそうな自転車がなかったんで、、、不安になった。
インターホンを押しても応答がなくて、お隣さんが気がつくとベランダに立っていたので聞いてみました。けど、分からないって。入院しちゃったのかな・・・・・
すぐ前の家にも聞いたんだけど、知らないって。
とにかくご近所さんとはご主人さんが出直してから数年お付き合いがなかったようだった。
出直してはいないようだけど、家にもいなさそうで入院したんだと自分で結論出しました。
長男さんと2人ぐらいだったけど、私は会ったことはないの。けど、家に来ていたことは知っててくれてました。
助け損なった思い。
どんなにこっちがなんとかって思っても、なんとか言うことを聞いてくれないとなって思ってしまう。
そうじゃないのかな・・・・・
おぢばに帰れば助かる。帰らないと本当の助かりはないって聞かせていただく。
本当の助かりとは個々に違うんでしょう。
動いてくれたらもっと大きく助かったのにというもどかしい思いはいつもあるなぁぁ
もちろん、自分自身もそうだよね。
また独り言のようなことを書いちゃった。