にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

おやさまといっしょに

2014年10月10日 18時21分00秒 | にをいがけ・おたすけ

ひのきしんなどが終わって、
ささっとお昼を食べてしまってから、
おきっぱなしのチャリでにをいがけに。

行き先は決めてあった。
何度も行った地域だ。
車なら教会からそんなに遠くはない、、けど、
近くもなくて歩いたら、けっこうあるなぁぁ


心定めとして、在宅10人。
ご主人さんの名前に見覚えがあった。
たしか季節感のある下の名前を話の種にして
「すてきな名前ですね」と言った覚えがあるのだ。

今日も在宅。網戸だった。中に入れてもらえた。
わたしのことも覚えてくださっていた。
とても丁寧に接してくださって好感が持てる。
毎日忙しくて、一日が早いって充実した日常みたい。
なんとかお話の合間に
かしものかりものの理のお話をくいこませてみた。

そのうちポツリと言うのだった。

『やっぱり違うな』
「なにがですか」と私。
『宗教をやっている人は心が美しいね』
「私ですか」
そうだというのだ。
「とんでもないですよー」と必死に抵抗をしたんだよ。
本当になんでそんなことを言うんだろうって。

その家を後にしながら考えていました。

きっと私のことをそう思うあの人の心が、
きれいなんだって思いました。
それはそうだなって。。。。
包容力がオーラになってましたもの。

私なんかのことをそう思ってくださって、
そんな人間じゃないのに、
もったいないやらありがたいやら申し訳ないやらで
胸を熱くしてしまい、泣きそうになってしまいました。

きっとおやさまが私のことを励まして下さったのだと思う。

おやさまを存命にするか不在にするかは、
私たち一人ひとりの念ずる心に現れて下さるという。
おやさまを口にし、時に人になり、野をかける風になり花になり、
私たちを励まして下さっている。おやさまを感じさせて、
いただけさえすればいい。

先日の笹倉先生のお話の中の一説。実は、
私も前から同じことを考えていて、嬉しかったんだー。
そんなことがありました。
また歩かせていただきます。
ありがとうございました。



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2 コメント

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有り難うございます。 (masa)
2014-10-10 21:58:47
yoshiさん、今日も教祖とご一緒だったんですね。
私も神戸で教祖のお伴をさせて頂きました。
「御存命の教祖は布教に歩く者だけにくださるものがある」と聞かせて頂きます。
きっとyoshiさんも教祖からたくさんの宝を頂戴されている事と思います。
総会の翌日、教会を後にする時に前日の総会の様子を写真におさめた小さなアルバムをいただきました。その写真の中に参拝場を正面から撮った写真があったのですが、その中にyoshiさんが写っているかもしれませんね。
私のような者の講話の内容を布教の中に思い出して下さるなんて、こんな嬉しいことはございません。
有難うございます。これからもお互い教祖のお伴に勤しませて頂きましょう。
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yoshi (masaさんへ)
2014-10-12 07:53:42
「ご存命のおやさまは布教に歩く者だけにくださるものがある」
総会の日も言ってくださいましたよね。
はっと思ってメモしたような気がします。
布教に歩かないとそれがなんなのか、
分からないものなんでしょうね。

昨日は上級の大祭。総会の映像の流してくださいました。
中でmasaさんのなつかしいお顔を拝見しました。すでになつかしくなってます。
布教中はいろんなことを思い出したり考えたりしますよね。
それが宝だと聞かせていただいてます。


今日も歩けそうかな。
7時53分、masaさんは今頃お願いづとめをさせていただいていることでしょうね。
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