にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

今日は月次祭

2021年09月13日 17時45分38秒 | 祭典日
おととい、ご神饌の大根6本。すぐにみつかった。
わりかし近くのスーパーで青森産のきれいで形のいい大根。
こんな素晴らしい大根は過去にあっただろうか。
レジで30分並ばされなかったらもっとうれしかったな。
3ヶ所のレジには法則があったのだった。



午後から主人が参拝。迎えに行きました。
帰りながら、主人が言っていた。
『またウソついちゃったな・・』
『教会の人たちにウソを言っちゃったな。・・』
『てことは、yoshiにもウソを言っちゃったことになる』

主人は思ってもいないのに
言われるがままに『はい。はい。』と返事をしてしまうんだそうだ。
oyome に言われたときも思ってないのに調子よく
返事をしてしまうんだって。

「それでいいんだよ。いいんだよ」と私。
私は心の中でそういうものなんだよと思っていた。
神様だ。男性が素直と言われるのは
そういうところから来ているんでしょうか。
私は前から思っていたよ。
主人の本心は家内としてなりに分かっているので
それなのに、私に言っていることとは違う行動をしていたり
返事をしていることなんてよくあったし。


私が主人を理解しきれているとは思ってないけど
神様のことで流されている主人を見るのは
キライではなくて、
そういうものだと自分も体感してきているから。


主人は自分で選んだものを教会へ運ぶたびに
お帳場に預けている。本人は手土産のつもり。
何を買ってもあまり口出しはしないように
私は心がけているけど、内心は「えーー?!大丈夫?」と
思うことはしばしば、、、、、。
正直なにをお供えしたらいいのか私にも分からない。

喜んでいただけるものを、と考えると分からなくなる。
自分が持っていきたいものを、と考えれば選びやすくなる。
主人は後者のほうだ。




今月はおつとめにつきませんでした。
自分がおつとめについていないときは
みなさんのおつとめはあまり気にならなくて
とくに唱和もせずにただ拝殿に身を置いているだけ。


でもひとつのことはずっと頭の中を駆け巡っていたよう。
おととい、出直された上級教会の部内の先生のことを思い出して
涙が出そうになった。部内の先生の中では一番好きでした。
まだまだお若いのに、、、、ここ数年は近寄りがたくて
遠くから姿をみつけてお元気そうだなと。

長い信仰の中で先生には恩を感じてきました。
ずっとずっと感じてました。
けどコロナ禍で上級にも行けなくなって
先生の姿を拝見することもなくなって、、、、
最後に声を聞いて姿を見たのは今年の春くらいかな。
そのとき以来、私は上級に参拝に行けてません。

ついつい、目じりがじわじわしてきて
思いが深くなってしまいます。
感謝しかないです。ありがとうございました。





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