婦人会委員長様がおっしゃって下さった内容は
申し訳ないけど聞いていたのにもかかわらず覚えてません。ですが、
一言<その時代の婦人会>だけが残ってました。
天理教が陽気暮らしをめざして始まってから、173年。
その時代その時代を生きた婦人さんの精一杯の信仰があるからこそ
いまの時代を生きる私たちの通る道があるのだなって。
そう思うと、自分の役目は大きくて、キチンと果たさないと、だなって思う。
できるかわからないけど、とりあえず動くしかない。
私の人生があと何年あるのかわからないけど、そのことを頭の隅において
にちにち、務めたい、、、かな。(笑)
へっぽこ写真を並べてしまってすみませんでした。
ではまた。。ありがとうございました。
婦人会行かれたのですね
写真よく取れてますね
私は、yoshiさんが写真撮っている時は、
教祖殿の中にいました。
29日のひのきしん 会えるかもしませんね
写真撮らないのなら、
教祖殿や神殿からでもいいなって思ってました。
29日お天気はどうでしょうねー。
最近特に感じた事があります。全教的にお道が下降線であることはわかりますが、なぜに?と思っていた中に、ある人が神様の話でこんな話があると言っていた。人間は恩さえ忘れなければ大丈夫だ。恩を忘れたら、ころっと山坂転がり落ちにゃならん。こんな話でした。よく考えますと、たすけて頂き、ご恩返しで、おたすけにかかり、その方が助かって、はじめてこちらが助かっている。恩を返し、因縁を切っている。この第一歩を忘れなければ大丈夫だと思った。また、教勢を返す一つのポイントかと思います。お道を止めてしまう方がいますが、こちらの反省ですが、いつもお宅さんが助かって、私が助かっているという意識に変えたら、いいのかと思います。
代が重なると、おみちの信仰に対してありがたみが薄くなってくるんでしょうね。
それは普通だと思います。そこで大事なのが
親が伝えていくという努力。かな、と思います。
うちの子がこの間、高校一年で学修に行かせてもらいました。
信仰7代目とか8代目とかすごい子供たちもいたらしく。。
でも、初代さんの元一日を知らない子供たちばかりだって聞きました。
自分もそうだけど、どこまで信仰がつながっていくかわかんないけど
とりあえず、なぜ自分の家(お母さんが)が
天理教なのか、くらいは子供たちに話しておきたいと思います。
教会の理の親も、道専務さんも知っている方は
何かあるごとに、
私の信仰の元一日を拝殿で話して下さっているようです。
私もそうしていかないと!!生きているうちに。
前にも書いたような気がしますが。
恩知らずになってしまいがちです。
そして助かっている自覚がないと、おたすけ心も湧いてきませんよね。
にをいがけができるとかできないとかの前の段階で、引っかかっているのかなって思います。
そこがむずかしいなー。
初代の私も癖性分でにをいがけでおたすけの相手を探すのが、なかなかです。
こちらからおたすけに通うことはできても初参拝まではいきません。
理の親はそれでいいって言って下さっていますが。
とにかく相手を持つこと!!!!
下半期の自分の心定め、、、努力をすること!!
これに尽きます。
長くなりました。