家事で遅ればせながら、にをいがけにいった。
主人が法事で車を使うというので、ガソリンを入れにいき、
方向が一緒だった鳩○ニュータウンの一戸建てをまわった。
すっかり秋めいていて、わざわざ公園の中を歩いた。
いつのまにか見上げればうろこ雲。
特に印象に残るような出会いはなかった。
昔ココ来たな~って思いながら、インターホン。
面白いインターホンで、電話の呼び出し音みたいな音が5回鳴って、
やっと切れるインターホン。
早く出なくちゃ!!って、焦るんじゃないでしょうかね。
こっちも5回聞かないとその場を去れないし。
5回でいいのかな、とも思ったし。
言いようのないもやもやが心にあった。
あるスピリチュアルな番組である方(美輪さんの方です)がおっしゃっていた。
「自分の家の中がうまくいってないのになにが世界だすけよ。とんでもない!!
まず、自分の家族、家の中からうまく治めて、そこから周りに発信していくのよ。」
と、声を大にして、力説。
今朝、ビデオでみたのだ。
その通りだと思う。
おみちでいう『なるほどの人』でしょう。
だとしたら、私なんか、人助けどころじゃないじゃん。
にをいがけしてて、いいの?みたいな。
そもそも我が家が円満だったら、おみちなんて聞いてないし。
大変なにをいがけだって、しなくていいものならしないし。
資格もないのかなぁ。
資格のない人のほうが多いと思うけど。
「だったら、これから努力をしていけばいいのよ」と、おっしゃるだろうな。
絶対そう言うと思うよ、美輪さん。
なんだかんだ結構ファンなの。。。この番組。
・・・・・・・・・・・・・・
以前お手引きした人が言っていたのだけど、
美輪さんの相方・・なんて言ったっけ?名前よく忘れるんだけど。
美輪さんの隣に座っている和服の似合う男性に、
見てもらったことがあるんだって!!!
お手引きの方の知り合いと和服の方が面識があって、そういう運びになったらしい。
いいなぁぁぁ
とにかく考えさせられた。
まあ、私は御礼でにをいがけをしているのだから、
資格なんてどうでもいいや。
御礼になっているかどうかは自信ないが。
もやもやが晴れた!!
”具体的に動く”
好きな言葉だし、こうありたい。
そっか。。
なるほど、分りました。
ラブラブさん、ありがとうございます。
ウチも気をつけないとね。
なるほどの人に少しでも近づきたいものです。
ただ、家庭もひとつの社会と考えた時、
気遣いも心遣いも必要でしょうね。
でも、安らぎの場所でもあるから、自由にしていたいと思うのも当たり前です。
両親の役割もあるでしょうし、子どもと言えど、
家庭内の仕事のお手伝いもさせたいですね。
家庭崩壊とは、それぞれ家族の信頼や思いやりが、
少しずつずれて、溝が深まって、修復不能に陥る一歩手前のことだと思います。
これって具体的に言うとどういうんでしょうかね~。
改めてなるほど、と思いました。
でも、家庭崩壊しかかっている中を、
においがけに出る気持ちはわかります。
私も、一歩間違ったら同じだからです。
家庭の中が膠着して、
どうにも笑うことすらできなくなったときに、
一度外に出て、作り笑いでも良いから
人に笑顔を作って声をかけるのです。
そしたら、家にもちょっと笑顔を持って帰ってこられます。
ただ、崩壊しそうな家庭を、
ほったらかしにしておいて、
ただただ外ばかり歩いているのもどうかと思いますが。
神様のお仕事のお手伝いです。人様のお世話では有りません。
普通に生きることを目指すラブラブさんの生きかたは正しいと思います。
家庭崩壊や家族の絆が切れ掛かっている中を、おたすけに行くなんて私から見たら論外です。
ラブラブさんが重要ポイントだといったこれが、
おみちでいう「なるほどの人」っていうんです。
私も何度も聞かされたなぁぁぁ
会長さんがよく仰いますが、
「どんなに親が隠しても子供をみれば親(夫婦)が分るんだよ」と、ホントそうでしょね。
子供を見て反省したり喜んだりしてます。
理の親は、いいところばかりを見て下さいますけどね。
おみちを通っていても、そんなに完璧な親なんていないんだよね。
さて、教会へ行ってきます♪
<やっぱり、家族が幸せで、
<なるほど道の家族は幸せそうだ、と
<周りにも映していかないと。
<っていう正論。
ここすごく重要ポイントです。
私のように末端信者は、そのあたりが凄く気になるのです。
昔は、いろんな問題があったけど、信心させてもらってよくなったのよ~。
今は、感謝で胸が一杯で幸せよ~。
と言われると、信仰心も湧いて信心するようになります。
しかし、においがけしてくれる人の家が、家庭崩壊の危機や、子どもが病んだままだと、信仰してても、ダメじゃないの?と思ってしまいます。
説得力がないというか、そんなんだったら、他人の世話やいてるより、自分の家の中を何とかしろよ~といいたくなるのです。
だから、いろんなことを経験してる人の言葉は、
魂の声だと思うから、心に響くのです。
そうどれが正しいというものではないけけど、
子どもが非行に走ってしまったときに、子どもから、出てくる言葉は、「あんなの、親じゃない」とか、
「自分たちこどものことはどうでもいい」とか言いますよね。
それは、やっぱり親を求めてるんですよね。
そして非行に走る子どもの親は、高学歴で、
常に上昇志向が高いようです。
そして、子どものためと言いながら、実は、
自分の自己満足だけが多いみたいな親の子どもは、
逃げ道がなくて、奇怪な行動をとるか、
危ない方面へいきたがるのです。
だから、15歳までは、親の責任と言われる所以もそこにあると思うのです。
どっちも正しいでいいのか・・そっか。
どっちか選ばなくては!と思ってしまいました。
内々から納めて、発信しなくては。
なるほど、そうでしょう。
某宗教では、家のことはほったらかしで、
とにかく布教に明け暮れて、
たくさんの家庭崩壊を招いていると聞いています。
やっぱり、家族が幸せで、
なるほど道の家族は幸せそうだ、と
周りにも映していかないと。
っていう正論。それはそうですよね。
そして、何かが欠乏しているからこそ、
そとに出て行こうとするエネルギーが湧く、
というのも事実。
なにもかも満たされ切っている状態では、
なかなかそんなエネルギーって
湧いてこないと思います。
だいたい、どっちかに極端に振れている人って少なくて、
諸刃の剣のように、
両方とも抱えながら生きているのが
人間であり、ほとんどの道中の者ではないでしょうか。
もちろん、私もその一人です。
あ、ちなみに私もその番組好きです。
あんまり人の悪口は言いませんよねえ(笑)。
このあいだの2時間スペシャル、
ビデオに撮りました。いつ見ようかな☆
おみちの聞いてて、にをいがけおたすけをされている人からしたら、人のために動くことは当たり前のことなんですよ。
子供の命がかかっていても、治すのは医者じゃなくて神様なんだと思う。
医者はただお手伝いをしてくれる立場。
自分の子供より人の子供のお世話をすることなんて、
日常茶飯事で、でも自分の子供は他の人が見てくれたり。お互い様に見たり見られたりなの。
助け助けられ、、、
寂しい思いをさせてしまったとしても子供の徳積みです。
ちょっとくらいガマンさせます。
親が苦労している時は、子供にも苦労してほしいなって思う考え間違っているかしら。
あとでちゃんとフォローしてあげればいいことだと思うし。
美輪さんの言葉を聞いた日本中の人が、
自分の家族を省みて、家庭の中から良くなっていこうと思ってくれたら嬉しいですよね。
そういう人がどれだけいるか分らないけど、
メッセージを発信し続けるのも、神様から美輪さんに、
与えられたお役目だと思うので、いつも応援してます。
ラブラブさん、意見をありがとう♪
私の守護霊かってね。。苦笑
かなり安心しました。
私なんかが言うのもなんだけど、
ごはんさん変わりましたよね、ホントに♪
文面から発するオーラが違う。。
<「まず、自分の家族、家の中からうまく治めて、そこから周りに発信していくのよ。」
って、よく言われますね。
まるっきり当たってないとも言えない様に思います。
自分の子どもが大きな手術を受けてるのに、他人様の夫婦喧嘩の仲裁というか、奥さんの話を聞いてあげてた人がいたとか・・・。
自分の子どもが大変なのに、他人のために親身になってあげれるって優しい人と思う人もいれば、
自分の子どもを放っておいて、他人のためにするのは、どうかな?と思う人もいるはずです。
それは、この方の人柄というか、そういう付き合いの仕方によるように思います。
他人は、どのようにも言いますものね。
ただ、身内(旦那)からしてみれば、「自分の子どもより他人かよ?」と言われかねないですね。
だから、その時の状態によって、TPOで行動されたら良いと思うのです。
また、こどもにしても、「お母さんは、僕達より、
よそのおばちゃんの話が大事なんだね・・・」という、言葉は、素直に受け取ったほうが良いと思います。
だって、寂しいんだもの。
親の仕事を理解しておりこうさんなんだと思わないほうが良いと思います。
甘えたいのを我慢してるのです。
それは、「親に好かれたい」と、思ってるからです。
「親を困らせちゃいけない」と、親に気を使っているのです。
な~んて、子育てサークルの講師の方が、仰ってましたわ。
私も、そう思います。
・・って言ったって、ネットの友達に教えて貰ったのです。
いまこの方の本がいっぱい出ていますネ
でもね・・ 「身内から・・」 それを聞いて、本当の事知らない人なんだって思った。
身内ほど「幸せ」にすることが大変な人はいない。おたすけだって並大抵では無い。
それは、みんな知っているのに・・ だから、人様から始めているのにネ
人様は良いところしか見なくて良いし、悪くなったら離れれば良い、失敗も何回も出来る。
でも、身内は失敗が許せない。望まれることも、望むことも、レベルが高いし、きりが無い。
それだけに、諦めないで続けていくしか、私達が出来る方法は無いと思う。
人生を「幸せ」にする方法は、沢山あるし、みんな何通りかは知っている。
でも、どんな簡単な事でも実行は難しい、だから失敗しながらも実行している人は
本をいっぱい書いている人より、何倍も素晴らしい人だと私は感じています。
親様のお話で、幸せの頂上に登る道は色々ある、どの道を登っても辿り着く場所は同じ
と言う意味合いの話が有ったと思います。本を書いたり、テレビで話をしている人は
麓で登っている人を見て、とやかく言う人に思います。そっちの道じゃ無いとか
あっちに行けとか・・ そりゃ、下から見ていたら色々と見える。でも、どんな道でも
登っている人が素晴らしい、それに偉い人だと思うのです。
ちょっとでも上から見ている人は、今登っている道筋で一番良いルートを教えてくれます。
それは、自分が苦労したから教えられるのです。おたすけも同じです。自分が登ってきた
道しか教えることが出来ないと親様は言っているのだと思います。
最近の私は大きな悩みは無いし、心を痛めることも無いのです。仕事も順調だし、人様の
お世話もちょっとだけしています。天理にも無理なく行くことが出来ます。でも、ここまで
来るのに50年掛かりました。それでも頂上は、まだ上の方に見えます。
だけど、今が「幸せ」な時だと感じます。
富士山の5合目でも登ったら幸せを感じました。登って良かったって思いました。
人生の途中でも幸せを感じます。それが、いつも幸せに感じるための心の持ち方だろうと思います。
今が幸せ、どんな道を歩いていても「幸せ」の中にいるから歩ける。そう思ったら、気が楽です。
多くを望む必要は無いのだから・・