地図と実際の地形(?)とは、
どうしてこんなにも違いがあるのでしょう。
あるはずの道がなかったり、、、、家がない。
完璧、翻弄されてしまっています・・・・・けど、
あきらめきれないので、自分であきらめがつくまで翻弄されてみます。
そこの場所の歴史とかも、関わってくんかなー。
地図と実際の地形(?)とは、
どうしてこんなにも違いがあるのでしょう。
あるはずの道がなかったり、、、、家がない。
完璧、翻弄されてしまっています・・・・・けど、
あきらめきれないので、自分であきらめがつくまで翻弄されてみます。
そこの場所の歴史とかも、関わってくんかなー。
月次祭。
会長さんが祭文を読んで下さっている時間、泣きそうでした。
原因は、微妙に精神状態が揺れていたんでしょう。前の日からですが・・・
祭文を読まれている時間は、親神様との会話の時間。
いろいろと心の中で話しかけている。
御礼のあとは、にちにちのふがいない自分につい、、、お詫びを・・・
私は時間がきたらおつとめ着に着替えなくてはいけないので、
駐車場のひのきしんも一番混んで大変な時間に、
他の掛かりメンバーに負担をかけて、私は何もできずに手をこまねいていたし。
仕切って平気な顔をしてましたが、、、、おつとめ着来ちゃったら、あてにしてませんよね。
昨日は昨日で、所属教会の月次祭の前日だっていうのに、
危機感というか迎える気持ちになっていなくて、なれなくて、、、、
悩んでいた一日でした。私にできたことは、弁当箱拭き、昼過ぎになってからの
いつものにをいがけのみ。(お誘いの声をかける人もいるようないないような。)
以前はよく、所属教会の月次祭を、自分の家のこととして重く捉えて、
なんとか一人をと思い、一ヶ月間、にちにち歩かせていただくといいと思っていたけど、
そんなこと妄想(?)で終わってしまっている。長続きするわけがなく・・・
いつまでこんな自分から脱せるのだろう。
今は面白くないですね。面白くなくっちゃ・・なにをするにしても。
いま、考え中です。脱する方法。這い上がる方法。けど、分かってるんです原因。
バランスが悪くなっているんです。お道のご用とそうじゃないのとのバランス。
私みたいな形で長いこと通らせてもらっている人間は、このバランスは大事なんですよね。
上級教会の月次祭に参拝。
お話の先生は、大教会役員さんでした。
私、前から3番目あたりに座ってまして、しかも正面。
先生のちょいと斜め前の位置に陣取ることになってしまい、、、、
最高に楽しませていただけました。これって、ライブだって思った。
拝殿がひとつになっていて先生もさぞかし気持ちよくお話をすることが、
できたのではないかと思わせていただきます。
面白いことを言ってうけようという計算はなくて、たぶん性格なのでしょう。
何を言っても、間の取り方がうまいから聞いているほうは、素直に笑える。
印象的だったのは、。。。
先々代か先々代の方からよく聞かせていただいたというお話で、
《今の大教会は「結構」だけど、「結構」がいいんじゃないんだよ。
「結構」の裏には言うに言えないものがあるんだよ。
「結構」なことの裏側にある”元一日”を忘れちゃダメなんだよ。》です。
本当にそうだな。
目に見えるものだけが全てではなく、
私たちは、見えない裏側も感じさせてもらう努力をしないと、
なかなか相手は心開いて下さらないのかもしれないな。
相手の目線になって相手のことを真剣に悩んで一緒に方向づけを
考えていくことが大事だよなぁぁ
・・・・・・そんなことをあれこれ思案しました。
私みたいにただ思うことは容易いですが、、、、
今回はポイント10倍(100倍だったかな?)デーのお話はしませんでしたけど、
年祭はいつもの頑張りに対して、ポイントが一個ではなく10倍にしてつけてくださる
そんな旬なのだということを10年前の教祖120年祭の三年千日のときに
お話して下さったような記憶があります。
10倍どころではないんでしょうね、きっと。
ありえないようなことを見せていただける時旬が、たすかる旬がやってきますよー。
ありがとうございました。
ひのきしんなどあり、2時過ぎににをいがけけ出たので、
あてもなく東へ移動して、某スーパーへ車を止め、目の前にある団地。
なぜか1階建てと5階建てがそれぞれ一棟づつあったので、
5階建ての方だけを回らせていただくことにした。汚な目のあちこちでした。
そこの一棟は20戸分入ってました。結論からいうと、20戸のなかに
同じ宗教信仰者が3人もいました。
一人目の小柄のかわいいおばあちゃん。助けていただいた喜びに満ちておりました。
『悩み事があったけど、お友達に相談して某宗教を紹介してもらって、
脳梗塞やったけど軽く済んで、今は幸せです。〇〇様のおかげさま。』
そのような感じのことを全身で表現し、私に伝えてくれた。
笑顔のお顔はあまりシワもシミもあまり見られなかったです。
2人目の男性は、お道をものすごく批判してきた。
『知り合いにやっていた家族がいたけど、すべてなくして一家崩壊。
天理教をやっていると滅亡する!』
ここまで強く言われたことはあまりなくて、ちょっとムッときました。(`Δ´)!
「天理教の人はほかの宗教を批判したりしませんよ」と、言わせてもらいながら
ドアは閉められた。さっきのおばあちゃんとはえらい違いだな・・・
3人目の方は、最初のおばあちゃんと短気のおじさんをお助けした方だった。
お道でいう”手引き親”とお手引きの人の関係でした。一棟の団地に、
3人もいるってことでもびっくりしたけど、親子関係にあったとは私は、
神様に見せられている!!そう思っても不思議はないっしょ。
手引き親の方は、オーラのある方でした。
お道もそうだけど、教えではなくて人についてくるんですものね、人って。
私は全然そうはなれなくて、いつまで経ってもなれなくて、、、、、
なれる日があるのかもわからない現実。
それより、もっと喜ばなくっちゃって思いました。
私もそうだし、みんなも助かった喜びをもっと体中で表現してもいいよね。
言葉でもなかなか気持ちを込めて言えてないと思う。
私は勘違いしてました。
自分は助かった感がイマイチ感じれていなかったんだけど、、
それは主人の反対の中を金銭的にも我慢しながら、
細かなことを言われながら通ってることを他の人達と比べてしまい、
自分は大変だという悲壮感がけっこう強かったのね。
実際はわからないけど、
楽に通っているように見えてしまう人が多くて、、、、見えるんだから仕方がない。
けど、主人の反対があるからって、助かっていないことではないってこと。
全部がクリアできていなくても、いいんだってこと。夫婦の信仰になることは、
ひとつの目標ではあるけど、「反対」と「助かっていること」とは別の話なんですね。
もっと助かった喜びを相手に伝えながら、にをいがけおたすけに歩けたらいいな。
今日は、チャリで参拝に行きました。
集合時間45分前に家を出まして、せめて10分前には遅くも着きたくて、
できれば30分で行き着き、15分の間にトイレにも行きたかったので、
あせって必死になって、ペダルを漕ぎまくりました!!
足を勢いよく動かしても、それだけ疲れる。これじゃもたないなぁぁ・・なんて。
教会の近づくにつれて、信号待ちが多くなって赤ばかり。どうしてだろう・・って考えたのね。
少し休みながら行きなさいと神様は言って下さっているのかな~なんて、
良いように受け取っちゃった。なんとか間に合いました。
上着の喉元の部分から下はファスナーが外れてました。不思議現象だ。
壊れてはいなかった。
帰りながら、駅前にむかいリーフレット配りをしようと思った。
数人の母子さんにあった。幼稚園のお帰りの時間だったらしい。相手にされず。
あまり向かっていく気になれなかったんだよね・・・・・
今日初めて気がつく。今日みたいな日が一番やる気が出ない日なんだなぁ
やる気になれないながらも声はかけたし、2部もらっていただきました。
男子高校生と中高年の男性。嬉しかった!!
期末の時期なので、早帰りなんだよね。。。19時になるのに、次男はまだ帰宅せずですが。
帰って、お昼を食してからにをいがけに出させていただく予定でした。が、
出るタイミングを失い、早めの夕飯作りをはじめました。
ホントなら今日は親の理をいただいた日なので、
喜ばせて頂けるようなことがある日。いつもと違った歩きができる日。
それをフイにしてしまいました・・・
このやる気のなさから、なんとか脱して勇んで通らなくては!!明日は今日の分も
燃焼できるような気がする。(ホンマかいなΣ(゜д゜lll))
あ 芯は燃え尽きません。