にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

出会いに年齢関係なし

2015年01月07日 21時18分03秒 | にをいがけ・おたすけ

苦し紛れに決めた場所でのにをいがけ。
そんな中で5歳の女の子と出会って、
庭先での私とおばあちゃんらしき方の会話に入ってくる。
お二人とも同時にしゃべってくれるので
同時に聞いて答えなくてはならないという状況で
お構いなしに女の子が笑顔で間に入ってきて
話しかけてきてくれるといううれしいかぎりでした。^^

挨拶してくれたり、自己紹介をしてくれたり。。。
おばあちゃんかと思いきや違ってました。
叔母さんでした。補聴器を車に忘れてきたので
細かい話が分からなかったです・・・・・・・
けっこう話をしてくださった方で
伊豆の沼津にお道を信仰している知人が
いるんだって聞かせてくれました。


5歳の姪っ子さん。そのうち家に入ったかと思ったら
おやつの飴をなめながら口の周りをを白くさせて
帰ろうとしている私に一言。

『また遊びに来てねーーーー』

「でももうお休み終わりでしょう。いつ来たらいいのー」←私

『明日から幼稚園だからーーー』

とか言っていると、そばで聞いていた女の子の叔母さんが

『学校へ上がってからねー』とか言っている。

この春から一年生だって。はきはきした明るい女の子でした。
ほんとに遊びに言っちゃおうかな。
叔母さんとも話がしたいし。
女の子の身の上がちょっとね。
かわいい出会いをありがとう。


本気って

2015年01月06日 20時57分15秒 | 他のおみち話

本気ってなんだ?

真剣とどこが違うのだろう

分からないのに本気で頑張れないよなーー

 

自分なりに考えてみました。
本気ってのは一くくりにした言い方ではない?

一生懸命とか精一杯、真剣、頑張った、とか
無我夢中でとか、、そんなものを粘土でくっつけたものを
本気って言うんじゃないでしょうかねー。
そう思ったんだけど。


初にをいがけと口ぐせ

2015年01月05日 21時06分16秒 | にをいがけ・おたすけ

上級教会の初祭り。

帰りに初にをいがけを実施。

今年最初の戸別訪問での会話は
中高年の男性でインターホン越しで
お互いの聞き違いで結局あちらさんが
イライラしてガチャって置いてしまわれました。
天理教は知っていると最初に言ってましたよ。

30分のみなのにそのあとちょっと買い物したら
外は夜になってました。夕景は見たけど。
富士山のシルエットがきれいだったのは4時50分ころだったかな。
南大塚あたりの国道16号の交差点を左折したら
正面に夕日を背負った富士山が。。。。
大きめにうつってて美しかったですよー。

去年の12月ころから戸別のにをいがけに
手ごたえを感じにくくなりました。今日もそうです。
戸別訪問から路上のにをいがけに切り替えたほうが良いのかな。

駅前のリーフレット配りをするときが来たのかもしれません。
決断のとき??大げさだねーー笑笑^^

 


会長さまの口ぐせ、発見。
私の口ぐせはなんだろう。。
「うん、うん」とすぐにうなずいてしまうところかなー。
とりあえず、うなづく。了解っていう意味ではなくて受け入れの意味。
承りましたの意味かな。
変なのーーーーーーーーーーーーーー。


新年早々に見せられた・・・

2015年01月01日 18時23分04秒 | 他のおみち話

新年早々見せられてしまい、
元旦祭の間中、考えてしまってました。
落ち込んでしまったです。

まずおつとめのこと。
三味線にあたってました。三、四下り目。
ここでも鳴り物に対しての姿勢といいましょうか・・
小道具をきちんと決められた位置に設置して
構えてこそ思うような三味線の音が出ることになっているのだなと
まざまざと分からせていただきました。

いつものようにばちが弦に引っかからない、、
空振りだ、弦で引っかかり止まってしまうのは構えが悪いってことだ。
ひざ置き(?)の位置がダメだと全てダメになる。
お太鼓(?)の位置もそうだ。三味線ってのは
弾くのを見ては簡単そうに見えます。
でも「ひとーつ」に向かうまでの一つ一つの
ルールをまもってこそのことです。

心の中で視差呼称をしよう。
だいぶ三味線がまた好きになってしまった。

 

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朝、玄関ドア前においたユーカリのコンテナ。
風で倒れていた。根っこも見える。ちとむかついた。
ユーカリって根を張らない植物で
大きくなっても強風で倒れやすいってことは知っていて、
神経質に単独にして育て始めていた。

倒れて根っこが見えているユーカリ。
なさけないユーカリ。一丁前に枝をひろげて生長が早い。
頂きもののやっかいなところがあるユーカリ。

これは自分だって思った。信仰20年も経つけど
ユーカリのようにまだまだ根っこが張れていない樹だ。
支えて頂いて抱えていただかないとちょっとの風でも
簡単に倒れてしまうのだ。
1人で立っているなんて思っているんだろうか、、、
そんなことを考えてしまった。しんみりと泣きそうになる。

本当はこんなふうににをいがけのブログを管理して
コメントをいただいて返事まで書かせてもらえる立場では
ないかもしれない。
赤裸々に自分をかくさず恥もかき
自分自身を勇ませる場所になるならと思って続けている。
読んでくださっているみなさんの存在のおかげさまで
続けられるようなものだ。

「あああああああああああああああああ・・・・・・」
てなもんですよ。


育ってきたユーカリは倒れにくくするために
剪定が必要だそうだ。まだ道があるだけいい!!
お道でいう剪定とはなんだろうと考えた。
おつとめ中に考えていた。

こつこつ歩くことだと結論出した。

自分はまだまだまだまだーーずっとこつこつと
歩かせて頂くことをしないと倒れてしまう柔な
ユーカリと一緒だと自覚した。
正座をしたおつとめ着のひざに丸いしみができた。

 

 もうひとつは別便にします。