にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

気が向かない場所を歩く

2018年12月18日 19時19分32秒 | 地元の布教

くじ引きで決めたのか
係りが独断と偏見で決めたのか
ぺアになった方と教会から歩いて
にをいがけに行くという日だった。
近場を回りましょうって企画らしい。
歩いていくのは平気だけど、どんな場所に行くのか
それは自分では選べない。

駅向こうの地区で、
ワンルームマンション、アパート、一階が店舗という建物ばかりを
巡って行った。一人ではやらない場所ばかりだった。
ペアの方と黙々とこなしていた。
ペアで歩くのは難しい!!!

 

 

お留守が多かった。非常にいなかった。
今日は路上をする気になれなかった。
一人だったら声を掛けることができたんだけど
今日はその気になれなかった。ごめんなさい。

そんな中、私の話を聞いてくださった方が一人だけいた。
マンションと言っていいのかな。
インターホンを押したらしばらくして、ドアを開けてくださった
男性がいた。30歳くらい。上がパジャマ姿。体調が悪いから
会社をお休みしたそうで、これから寝ようかと思っていたところへ
私がインターホンを押したようだ。
風邪みたいなことを言っていたので、普段だったら
さっさとお暇しているところだったけど、ドアを開けてくださったので
何か伝えたいなって思った。

「風邪をひくときって自分以外の誰かに心を使ったり
感情的になってしまったことがあったときにひくって聞きますよ。
最近何かなかったですか?」
何か言って下さったけど、よく分からなかった。

「12月は大掃除の月。今年は自分頑張ったなってとこは自分をほめてあげて反省すべき所は反省させてもらうのもいいかと思いますよ。今日はお時間もあることだしゆっくりと一年を振り返ってみたらいかがでしょう。」

そう言わせていただくとゆっくりと語ってくださった。
でもでも、内容が理解できるほどには聞こえてこなかった。
途中の部分は聞こえるんだけど、それだけじゃダメなんですよ・・・

男性だし身上者だし何度も聞き返せないしで。
きっと今の自分の思うところを話してくださったのだと思わせていただく。
聞こえないのが悪いんじゃないとは思うんだけど
残念ではあるなって今更ながら思ってしまった。

リーフレットは快く受け取ってくださった。手応えを感じた。

本当に私なんかにね、、、聞かせてくれて。

 



報告の時間に班の芯の先生が
『神様はその方(おたすけさん)にちょうどいい方を会わせてくださる』って。

ということは相手の方にとっても部屋にやってきてくれた
ようぼくの布教師はあなたにぴったりの方なのですよと
教えてあげたくなるなぁぁ

そんなのしょっぱなから言えないよな。
駆け引きみたいだけど、色んなことを考えてしまう、
歩かせていただいていると。
来年は初参拝をもっと頑張ってみたい。


 

教会に戻ってから妙に疲れていた。
気疲れなのかな、、、、
ペアに疲れたのか。
家でお昼を食べてから、どっと睡魔がやってきた。
ちゃんと横になって寝たらよかったなって思った。
主人は仕事が遅くなっていたので、それができたな。

こんなに疲れるなんてないよーなかなか。
300円プロジェクトのあとよりも
何倍も疲れたのよーー。
神経からなんでしょうかね。

やっぱ、気の置けない方とのペアじゃないと
本来の自分の歩きが出来ないんだね。これも自分の勉強でしょうね。
こういうことも必要だと思わせてもらった。

 


路上でのおさづけ

2018年12月17日 14時15分41秒 | 東上線駅布教

毎朝の冷え込みが辛い時期になって来てます。
場所にもよると思うけど、埼玉ではいつもの今頃よりも
ぐんと寒いような気がしてます。

今日はにをいがけに出させてもらっていたら
10時半あたりから太陽が出てくれて
街全体がふんわり暖かくなって、ものすごく嬉しかった。
太陽ってこんなに暖かいんだなって再確認。
気温も上昇してきてて、、嬉しい限り!!!

 

 


今日は路上のにをいがけで軽い気持ちで
お声をかけた方が身上がありまして、
おさづけのお願いをしてみました。年配の男性でしたけど
素直に受けてくれるということで、、、私も自然体だったので
ちょっとアパートの脇で精一杯つとめさせていただきました。



戸別のおさづけとはまた違った感じで、
自分は周りの様子は全く気にならないんですよね。
以前駅前でもそういうことがあって、受けるほうも集中しないと
恥ずかしいものなんだろうなって思っちゃいます。

寒くってパソコンの前に座るとこが出来なくって、さぼり気味。。
年の瀬をなんとか駆け抜けています。


12月の修養科生

2018年12月12日 09時06分22秒 | 修養科

さむくなったなぁぁ

詰所から凍えた足で修養科棟をめざして

仲間達と歩いて行ったことを思い出すなぁぁ

母親の車椅子を押しながらだった。

あ、、、朝は男の人が押してくれたんだった、、朝だけは。

 

 

 

このじきの朝礼のおふでさき拝読はかじかんだなぁぁ

息が白かった・・・・・・

体感したことは身体に染み付いてるね。

感覚が覚えてますね。

 


再確認ができた

2018年12月10日 18時16分37秒 | 意識改革

どっかに書いたかもしれないけど
25年の間には何度も
「天理教やめたい!」
「もういやだ!」と思ったことがある。

切り替えが早いのか、その気持ちは長続きせず終わる。
またなんかの拍子に思い起される。
結局いまだ信仰を続けてる。
信仰をしているっていうのはそもそもどういうことなのか。

 

毎日教会へ運ぶことでもないでしょう。週に一回でも運んでたら
信仰をしてるってことでもないし。
にをいがけおたすけをしていないと信仰をしてない
ことにはならないでしょう。
理立てをたくさんしているからではない。
修養科へ行って成人して帰ってきたから信仰へつながるわけじゃあない。
やめちゃう人だってけっこういると思うし。

 

信仰をしているってのは、自分の自覚がすべてなのかな。
人がどう言おうとしてないって思ったらしてないんでしょうし
ようぼくだし信仰してますって思っていたらそうなのでしょう。
信仰ってなんだろう。
忘れちゃったよ。

そこにこだわることはないのかも。形ではなくて心。
思いが神様のほうを向いているのか。
おたすけ心があるのかどうか。
親心になれるのかどうか。。。。。

そうか。
幾度となく聞かせていただいている。
”助かりたいから人を助けたいにならないといけない”って。

助かりたいから人を助けたい心に変わったときから
『信仰している』になる!!
なんでそういうことを書いているのかというと
先月の300円プロジェクトで感じたことにつながる。


上福岡から新河岸駅へ向かう道中は道を聞きながら移動したって書いた。約2時間かけて「この道でいいのかな」「こっちでいいのかな」「このあたり面白そうだから戸別したいな」
と興味をそそられながらも先を急いで歩いたって。
そのうち知っているアパートが出てきて「ここ来た」ってなって、この道はあの道だなって不安が確信となって行ったのよ。「もう大丈夫だ!」って。
まるで私のお道人生のようだ。

今自分がいる地点は「大丈夫、違ってない」と思って歩いている地点なんじゃなかろうか。本当にそうだなって思った。そのことを再確認させてもらわなきゃならなかった。今回のチャレンジの収穫(というならば)のひとつだと思った。


12月は納めです

2018年12月10日 17時51分38秒 | にをいがけ・おたすけ

半日月次祭前の清掃ひのきしん。
清掃ひのきしんに向かう姿勢もそれぞれだ。
マジメにコツコツ自分の分をこなしていく。
窓拭きひとつでも丁寧にやっている人もいる。
性格というかくせ性分が出るのよね。

ひのきしんの時間なんだから
集中してひのきしんをしたらいいのにね。

今日は月次祭のお声かけをかねて
あるご婦人さんの家に行きましたが買い物とかで
お留守でした。ご主人さんがいました。
名前だけ言ったんだけど、ちゃんと自分のことを言えば
良かったなって思ったんだけど、言っていいのかなって
思っちゃったんだよね。たぶんいいんだと思うのに。

私、携帯の機種変更したので向こうからメールをしても
こっちに電波が届かなくなっちゃって、、、、どうしたかな。
アカウントが変わったんで。。。。
納めの月次祭だからと思ってお声をかけに行ったの。
もう一回12くらいに行ってこようか・・・・・・・
この方でお声かけは4人目。
今夜、明日中に12日に掛けに行く人を見つけておこう。
納めの月なんで目標の10人達成したい!!

 

 

 

 


12月が苦手です。

もっと明るい気持ちで通れたらいいんだけど
追い込まれてる感があります。