★靖国神社は戦争賛美の象徴で、国民を戦争へ動員する思想的仕掛けだった★
「お国のために戦って死んだら靖国神社に祀られる。大変名誉なことである」と国家と軍の指導者たちが国民に言い続け、「戦死は大変名誉なこと」とされました。
戦争反対は許されなくなり、過酷に弾圧されました。
家族の誰かが兵隊になって戦場に送られることを悲しむことさえはばかられるようになりました。
「お国のために戦って、靖国神社で会おう」が軍人や志願兵希望者たちの合言葉になりました。
戦後も靖国神社は大東亜戦争を正当な戦争だと肯定しています。
その上「東京裁判は戦勝国の判断だから、それを打破するためにA級戦犯を合祀した」と宮司が言っていました。
「世界の戦後体制」と「日本人が侵略戦争を反省する気持ち」を否定する立場です。
▼首相の靖国神社参拝は中国・韓国などから非難されるというだけなく、中韓の「反日路線」正当化とその強化の恰好の口実とされます。
米国政府からも(米国がせっかく日中・日韓の対立緩和の仲介の労を取ってきたのに、台無しにされた。 靖国参拝は控えるように何度も忠告して来たのに・・・)「安倍首相の靖国神社参拝には失望した。 中国の軍拡・強硬路線への絶好のプレゼントになった」という主旨の発言が聞こえてきます。
▼安倍首相らは靖国神社に参拝するのは「国のために戦って尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表すため」「今日の日本の発展の礎になった人たちの御霊に・・・」とか美辞麗句を並べて主張します。
しかし、・・・日中戦争や太平洋戦争で戦った軍隊は「お国のため、天皇陛下のため」と言って戦ったことは事実ですが・・・実際は周辺国への侵略のためでした。
およそどこの国の侵略軍も、「国のため、民族のため」と主観的には考えていたし、主張していました。
そして、ほとんどは国家の命令で戦いました。
あのナチスドイツでも政権を握って国家の命令として侵略戦争を拡大しました。
▼勝手な名分や口実や屁理屈さえあれば、その実態や実際の目的を問わず、「国家の命令に従って命を捧げて戦うことは何よりも尊い」と見なすのは偏向した国家主義であり、人権や民主主義より国家を上に見る危険な価値観です。
判断を誤ったか、しかたなく行ったかして戦死した人たちは、大変誤った対外政策・戦争政策と国家命令の犠牲者ではあっても、・・・「日本国民のために(なることをして)死んだとか、あの死があったから今日の日本がある」・・・と言うのは実は美辞に隠した大ウソです。
死んだ人のことや先人たちを批判したくない感情を持ち、美化する傾向のある日本の伝統的な物の考え方・・・があることに便乗して、戦時中の軍人を美化し、軍国主義賛美の靖国神社を礼賛するものです。
問題なのは日中戦争や太平洋戦争では日本政府も「自国のためには他国・他民族を支配すべきだ。 それに反抗するならやっつけてしまえ!殺してしまえ!」と軍隊で侵略したことです。
そういう侵略戦争の指導者・軍幹部・将校・兵士の戦死を「お国のために戦争に行って死んだのだから」「一般人の戦争犠牲者とは別に、特別に靖国神社に祀って参拝すべきだ」という考えに私は反対です。
なお、終戦直後の米進駐軍の中では「軍国主義を鼓舞した靖国神社を焼き払おう」と言う意見も議論されたほどでした。