小久保稔史さんご家族のメッセージ(R6.7.23)
令和6年7月23日火曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1551号。間も無く出る『「お帰り」と言うために』に掲載を漏らしてしまった石川孝一さん(小久保稔史さんのいとこ)のメッセージです。石川さんは前に月刊「正論」にも寄稿したことがあり、このメッセージも非常に重要な指摘が込められています。なおもとの文章はこちらからご覧になれます。
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小久保 稔史 | 特定失踪者問題調査会 (chosa-kai.jp)
生年月日:昭和22(1947)年8月1日
失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日(当時32歳:船員)
失踪場所:京都府舞鶴市
※従兄の石川孝一さんのメッセージ ⇩
貨物船の機関長をしていた私の従兄小久保稔史はガラスの原料となる珪石を島根県の温泉津(ゆのつ)港と舞鶴港の間をピストン輸送していました。1980年1月13日舞鶴の行きつけの在日が経営するスナックで足取りが途絶えます。
(以下略)
拉致被害者は北朝鮮からの工作員によって北朝鮮に連れて行かれたとのイメージがありますが、
田中実さんや金田龍光さんの様に在日に騙されて北朝鮮に連れて行かれた人もいます。
小久保さんも行きつけのスナックで消息を絶っていますが、経営者は在日でした。
この様に日本に住んでいる協力者の存在が大きいです。
他には有本恵子さんの様によど号犯の配偶者に騙されて北朝鮮に連れて行かれた人もいます。
ですから北朝鮮工作員だけでなく、日本人や在日が関わった事件もあったのです。
いいえ、日本人や在日の手引きで拉致された人の方が多いかもわかりません。
一部では拉致被害者は何百人もいると言われています。
スパイ防止法があれば防げた事件もあったでしょう。
にも拘らず、未だにスパイ防止法の無い日本です。
拉致被害者救出には直接関係しませんが、それでもスパイ防止法の必要性を感じます。
林 雅俊 | 特定失踪者問題調査会 (chosa-kai.jp)
生年月日:昭和50(1975)年1月20日
失踪年月日:平成10(1998)年5月12日(当時23歳:土木科・大学院生)
失踪場所:岐阜市で失踪。車が福井県丹生郡越前町梅浦の海岸で見つかる。
小久保稔史さんの従弟石川孝一さんのメッセージ【調査会NEWS3844】(R6.7.14)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro (note.com)
アメリカでは次期大統領がトランプさんになるのではと言われています。
他力本願になりますが、もう一度トランプ氏と金正恩との米朝首脳会談が実現し、
拉致問題解決に一歩でも二歩でも近づいて欲しいと願うばかりです。
また常々高市早苗さんは「国の使命は国民の命、領土領海領空を守る事だ」と言っています。
その言葉に嘘偽りがないと信じ、拉致被害者救出に真剣に取り組んでくれる事を願っています。
リンク先のブログを読ませていただきました。
三宅夕香理さん。
警察庁のサイトに「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者871人」の中の一人に入っています。
しかし状況説明はごく簡単ですが、一心さんのブログで当時の状況がわかりました。
もしかしたら一心さんも事件に遭遇した可能性もあります。
また当日は3月なのに雪が降っていた事、
また住所から市街地だと思いましたが近くに林道があった事、
更には厚木基地の近くだった事等々、想像とは違う失踪場所だったのがわかりました。
ありがとうございます。