朝鮮からの引き揚げと拉致について(R6.4.15)
令和6年4月15日月曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1452号。
終戦後の朝鮮半島からの引き揚げ者とその子供に特定失踪者が何人かいます。
あるいはそれが狙われたのではないかと思っています。
特定失踪者問題調査会の失踪者リストの最初が平本和丸さん、敏昭さん兄弟です。
失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会 (chosa-kai.jp)
平本 和丸 | 特定失踪者問題調査会 (chosa-kai.jp)
生年月日:昭和3(1928)年1月2日生まれ。
失踪年月日:昭和23(1948)年7月(当時20歳)
職業:終戦後大洋漁業のトロール船に乗船。昭和23年頃本社勤務。
失踪状況:7月20日以降、当時広島県安芸郡に居住していた弟(敏昭)を尋ね「船で遠洋に出るため当分会えない。お別れに来た」と言って7~10日間逗留。
その後大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅に行き何日か逗留した後、失踪。
勤務していた会社にも連絡なし。朝鮮から引き揚げ者。
中学生まで咸鏡南道咸興に居住していたが、親の反対を押し切って海軍予科練に内地で入隊し、終戦を迎えた。
平本 敏昭 | 特定失踪者問題調査会 (chosa-kai.jp)
生年月日:昭和25(1950)年9月21日
失踪年月日:昭和4(1929)年6月19日(当時21歳)
職業:広島県内で小学校教諭
失踪時状況:8月17日10時頃、学校へ出勤したまま行方がわからなくなる。
9月7~8日頃勤務先の学校が電話で出勤していないことを知る。
その後しばらくして、大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅にに9月21日頃まで逗留していたと判明。
兄和丸(昭和23年失踪)を探していたとのこと。
※平本兄弟は朝鮮からの引揚者。
二人の母は戦前に北朝鮮で死亡し、お墓は北朝鮮にあった。
その為、兄は遺骨を取りに北朝鮮に行ったが、その後兄は戻らなかった。
そして弟の敏昭さんが兄を探しに北朝鮮に行き、そのまま戻れなかったのではと荒木さん。
拉致問題は色々切っ掛け、事情、そして北朝鮮の思惑があったでしょうが、
やはり戦争の影響が大きいのでしょう。
朝鮮半島を統治した日本。
そしてその後の大東亜戦争と朝鮮戦争。
戦争の混乱と祖国統一の為、お互いが領有権があると主張する南北朝鮮。
それらが複雑に絡み合い、拉致問題が起き、更には日本国憲法9条の制約で手も足も出ない日本。
時間が経てば経つほど、解決が困難になります。
一つの切っ掛けが小泉訪朝。
二つ目の切っ掛けがトランプ、金正恩の米朝首脳会談。
そして次の切っ掛けというか、好機が岸田訪朝となるのか否か。
岸田さんではねえ。。。と思ってしまいます。
岸田さんにそれだけの胆力があるのかどうか。
解決をする執念というか、強い意思と決断力があるかどうか。
そして何より、交渉術に長けた側近がいるかどうか。
とにかく北朝鮮を焦らせなくてはなりません。
北朝鮮が拉致した日本人を戻さなければ大変な事になる、このままでは北朝鮮は消滅する、
それぐらいの危機感を持たせなければ金正恩は動かないでしょう。
かつてブッシュ大統領が悪の枢軸と名指しで北朝鮮を非難しました。
そしてアメリカのトランプ政権は金正恩斬首作戦を現実のものにしようとしました。
危機感、命が危うい、そんな気持ちにならなければ北朝鮮は動きません。
もしくは飴と鞭の原理で巨額の経済支援をチラつかせれば動くかもわかりません。
しかし誘拐犯に身代金を渡すと同様、拉致犯にお金を渡して被害者を取り戻せるのか疑問ではあります。
小泉訪朝で帰国出来た被害者5人。
子供や配偶者を北朝鮮に置いたまま、北朝鮮との約束を破ってまで5人は北朝鮮に戻りませんでした。
それは世論の力が大きく影響したと思います。
世論が5人の被害者を日本から北朝鮮に戻す事に賛成しなかった、北朝鮮を非難する声が大きかった。
それだけ世論の力は大きいのです。
ところが、今は世論の声は? 拉致問題って何?と思う若者はいないのか。
本当に拉致被害者全員を取り戻すのが国としての責務だとどれだけの日本人が思っているのか。
いいえ、国会議員でさえそれが分かっていない人が多いのではと思います。
もしかしたら大臣級の議員も拉致被害者を取り戻す事の重要性が分かっているのか甚だ疑問です。